【自転車】国内王者TeamUKYO、今季最後のレース結果は? (3ページ目)

  • 西村章●構成・文 text by Nishimura Akira  photo by Sportiva

 レース序盤で発生した逃げ集団に対し、各陣営が容認する格好で150km程度が経過。後半になると、この逃げ集団に数名が追走して吸収を図った。TeamUKYOからは湊がこの集団に加わることに成功するが、土井や畑中に対してはライバル勢からのチェックが厳しく、なかなか思うような動きに出られず、アタックが成功しない厳しい展開になった。

 210kmに及ぶ長丁場の戦いは、湊が11位でゴール。畑中は23位、土井31位、平井33位、住吉42位、という結果で終えた。

 一方、今回の市民レース210km部門には、チーム代表の片山右京が参戦した。このレースに備え、片山は多忙なスケジュールの合間を縫って可能な限りの厳しいトレーニングに取り組み、大幅な減量にも成功した。

 レース前には、「最低でも完走。できれば6時間以内にゴールしたい」と目標を述べていた。

「過去のリザルトから判断すれば、上位集団についていくことができれば5時間25分から40分くらいでゴールできるだろうけど、今の僕の力だと、おそらくその集団からは切れてしまって、ひとりで淡々と走ることになると思う。おそらく6時間以内にゴールまでたどり着けるかどうか……という微妙な状況だけど、市民レースといっても、国際レースに出ても遜色ない選手がたくさん参加するから、きっと生半可なものじゃないでしょうね」

 結果は、まさにレース前に予測していたとおりの6時間00分46秒435。参加294人中完走143名、片山の順位は完走者のちょうど中央値になる74位だった。

 次週は、このレースを片山自身に振り返ってもらうことにしよう。

(次回に続く)

プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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