【自転車】片山右京が痛感した「強い態度で臨む必要性」

  • 西村章●構成・文・写真 text & photo by Nishimura Akira

遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第60回】

 今シーズンは開幕から好調をキープし、総合優勝を目指してツアー・オブ・ジャパンとツール・ド・熊野に挑んだTeamUKYO。しかし結果は、満足のいくものではなかった。この2レースを振り返り、チームを率いる片山右京が感じたものとは――。

(前回コラムはこちら)

ツアー・オブ・ジャパンでTeamUKYOの外国人選手たちはアレルギー症状に苦しんでいたツアー・オブ・ジャパンでTeamUKYOの外国人選手たちはアレルギー症状に苦しんでいた 5月に行なわれたふたつのUCIレース――ツアー・オブ・ジャパン(5月17日~24日)とツール・ド・熊野(5月28日~31日)で、TeamUKYOは予想外の苦戦を強いられ、厳しいリザルトで終えた。ツアー・オブ・ジャパンはチーム総合11位、ツール・ド・熊野はチーム総合3位という成績だった。

 3月に開幕した2015年シーズンの国内シリーズ戦Jプロツアーでは、チーム・個人成績の双方で圧倒的な強さを見せ、4月末段階では「TeamUKYO独走」といってもいい状態にあった。その勢いに乗り、昨年ともにチーム総合2位で終えた両UCIレースで、今年こそ頂上制覇を目指してレースに挑んだものの、結果は上記のとおり。

 TeamUKYO監督の片山右京は、チーム結成以来4年間で、おそらく最もチームをマネージメントすることの難しさを痛感したレースのひとつだった、と振り返る。

 ツアー・オブ・ジャパンのレース終了直後に片山は、序盤のステージで所属外国人選手3名にアレルギー症状が出てしまったために、彼らのポテンシャルを活かしてチーム力を発揮することができなかった、と明かしていた。

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プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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