【自転車】片山右京が語る「チームのトップとしての悩み」

  • 西村章●構成・文・写真 text & photo by Nishimura Akira

遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第59回】

 上位進出を狙って挑んだツアー・オブ・ジャパンを、TeamUKYOはチーム総合11位で終えた。チームを率いる片山右京監督は、この現実をどのように受け止めているのか。語られたのは、チームのトップとしての切実な悩みだった......。

(前回コラムはこちら)

メディアに向けてツアー・オブ・ジャパンの意気込みを語る片山右京メディアに向けてツアー・オブ・ジャパンの意気込みを語る片山右京 ツアー・オブ・ジャパンの翌週、5月28日から31日にかけて、ツール・ド・熊野が開催された。

 紀伊半島南部の熊野地方で行なわれるこのステージレースは、日本国内のシリーズ戦Jプロツアーの第7戦であると同時に、国際自転車競技連合(UCI)のアジアツアーにも組み込まれている。格式はクラス2に分類され、前週のツアー・オブ・ジャパンからの継続参戦組を含め、台湾、マレーシア、インドネシア、ニュージーランド、タイの各国からコンチネンタルチームが参加した。

 チーム総合11位に終わったツアー・オブ・ジャパン終了直後、TeamUKYO監督の片山右京は、「選手たちのコンディショニングや体調管理を監督しきれなかった自らの責任」と、その敗因を語った。

「次はどのレースに出場させてあげられるか分からないから、とか、コンディションがまだ完璧ではないようだけどきっと頑張ってくれるだろう、とか、そんな甘さの入る余地がないことを、今回は改めて身に沁(し)みて感じました......。『ダメなものはダメ』と切り捨てなければならないし、コンディションのいい選手をどんどん優先し、シーズン全体でチームとして戦っていくことを考えないといけない、ということです」

 なかば自らに言い聞かせるような口調で、そう話した。

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プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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