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【自転車】片山右京「エースの素顔は、日本人以上に日本的」

  • 西村章●構成・文 text by Nishimura Akira photo by Sportiva

遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第24回】

 TeamUKYOには数名の外国人選手が所属している。彼らはどういう経緯で来日し、どういう役割をTeamUKYOで担っているのか。昨年のJプロツアーで個人総合チャンピオンに輝いたエース、ホセ・ビセンテ・トリビオに話を聞いてみた。

(前回のコラムはこちら)

来日2年目を迎えたTeamUKYOのホセ・ビセンテ・トリビオ来日2年目を迎えたTeamUKYOのホセ・ビセンテ・トリビオ 昨シーズン、2013年のJプロツアーで設立2年目のTeamUKYOは、個人とチーム双方のタイトルを獲得した。個人部門の総合優勝を達成したのは、この年からチームに加わったスペイン人選手のホセ・ビセンテ・トリビオだ。1985年12月22日生まれのホセは、このとき27歳。2012年までは、スペインのプロコンチネンタルチーム「アンダルシア」に所属していた。

 アンダルシアは、その名のとおりスペイン南部のアンダルシア州政府が大きなスポンサーとしてチームの財政面を支えていたが、ギリシャ危機の影響がスペインにも波及したことにより、2012年末でチームは解散。所属選手たちは新たな活路を求めて、各国のチームへそれぞれ移っていった。

 ホセのTeamUKYO所属が決定し、来日を果たしたのは、2013年シーズンのJプロツアーが正式に開幕する直前のことだった。

 この年の開幕戦は、岐阜県と滋賀県の県境に位置する、伊吹山のドライブウェイを登るヒルクライムレース。1036メートルの標高差がある14.9キロの距離を一気に駆け上るコースレイアウトで、平均勾配は約7%になる。この激坂レースで、ホセは時差ボケの抜け切らない状態にもかかわらず、レース序盤に後続を突き放して勝利した。優勝タイムは40分01秒。2位の選手のとのタイム差は、2分39秒という圧勝の内容だった。

 開幕戦に勝利して、ポイントリーダーの証(あかし)であるルビーレッドジャージを獲得したホセは、以後のレースでも引き続き強さを見せつけ、シーズン最終戦を終えて個人総合優勝を獲得。TeamUKYOのJプロツアー団体総合優勝にも大きく貢献した。

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著者プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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