国枝慎吾がスポーツ界のアカデミー賞「ローレウス世界スポーツ賞」にノミネート。前回の候補から「本当に山あり谷ありでした」 (2ページ目)
――前回のノミネートは25歳の時でした。この12年間、まざまな大会で好成績を残し、そして大きなケガも乗り越えてきました。前回のノミネートと今回のノミネート、意味合いは変わっているのでしょうか。
この12年間、本当に山あり谷ありの競技生活を過ごしてきました。リオデジャネイロパラリンピックが開催された2016年のケガからカムバックして、2021年の東京パラリンピックで金メダルを獲得しましたが、この5年間は、今までのどの期間よりも濃かったですね。
(2008年北京、2012年ロンドンパラリンピックの男子シングルスの)チャンピオンから(2016リオデジャネイロパラリンピックでベスト8と)挑戦者に戻って、そこからのスタートでした。テニスも大幅に変えましたし、ラケットや車いすなどの道具も変えました。そして長年お世話になっていたコーチも変えました。すべてを変えて臨んだ5年間でした。
その賭けに勝ったというところもあって、自分自身がやってきた選択が、間違いじゃなかったんだなと、確認することができた東京での金メダルだったと思います。
――今回ノミネートされた「ローレウス」の理念は、ネルソン・マンデラ氏の「スポーツには世界を変える力がある」という言葉にあります。国枝さんの体験のなかで、スポーツによって、周囲の変化、社会の変化を感じることはありますか。
僕が車いすテニスを始めたころは、パラリンピックという言葉すらメジャーではなかったんですが、この10年間で、パラリンピックを取り巻く環境はかなり変わったんじゃないかなと思います。
そして昨年、東京パラリンピックで金メダルを獲りましたが、それ以上にうれしかったのは、大勢の人にテレビを通して、車いすテニスがどんなものなのか、僕自身のプレーがどんなものなのかというのを、伝えられたことです。それが何よりも達成感を感じられることでした。
今まで成績を残すことによって、僕の名前を知ってくれてはいましたが、どんなプレーをするのか、実際のところは伝わっていないんじゃないかと思いながら、ずっとプレーしていました。
昨年の東京パラリンピックで、国枝がどんなプレーをするのかというのを伝えられて、その結果、僕のテニスクラブに、ジュニアの車いすの方々からたくさんの問い合わせがありました。そんなふうにつながっていくことが、何よりもうれしいことですし、やってきてよかったなと思います。
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