伊達公子が若い子に伝えたい「トレーニングと用具選びの重要性」

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • TOBI●撮影 photo by TOBI

 伊達公子――。1990年代に世界の4位にまで駆け上がり、12年のブランクを経て復帰した後もツアー優勝など数々の栄冠を手に掴んだ、言わずと知れた「レジェンド」アスリートである。

伊達公子さんに高校時代を振り返ってもらった伊達公子さんに高校時代を振り返ってもらった ボールの跳ね上がり際を叩く伝家の宝刀「ライジング」を携えて世界に切り込んだ20代、そして37歳から9年半走り抜けた「再チャレンジ」の40代......。異なる時代のなかで数世代にわたる対戦相手と戦ってきた彼女は、いつから、いかなる意識のもと、アスリートとしての道を歩み始めたのだろうか? また、時代の変遷に伴い、移ろう女子テニス界の景色を、どう見てきたのだろうか?

 まずは、初めて本格的にトレーニングに取り組み始めた日のことや、その背景を振り返ってもらった。

「トレーニングを始めたのは高校生のころからだと思いますが、そのときはまだ、言われるがままやっていただけなので、自分自身が意識してやるという感覚は薄かったと思います。学校(園田学園高)では毎日6kmのランニングがありましたし、大学のジムもあったので雨の日に使ってはいました。

 ただ、身体作りや身体を変えるという意識を持って取り組んだのは、もう少し後のことですね。小浦(猛志)さんに教わるようになり、プロになることも決めた高校後半だと思います。そのころから、トレーナーもつけてやるようになりました」

 ひとつの出逢いが、ひとりの人間がその後に歩む道の先鞭(せんべん)をつけることがある。伊達公子にとってそれは、1960~1970年代にかけて世界と戦い、のちに伊達を含む数多くのトッププレーヤーを指導した、名伯楽の小浦猛志氏であった。

「小浦さんに見ていただいたのは16歳の半ばからでした。技術面はもちろん、トレーニングから食事まで細かくチェックし、何が必要かという指示を与えてくれたのも小浦さん。小浦さんにはそれを見る目があったし、すべてが小浦さんの導きのもとでスタートしました。

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