SASUKE誕生秘話 総合演出家、乾雅人が振り返る「最初は偉い人から怒鳴られまくり、地獄のような現場だった」

  • 大野智己●取材・文 text by Ohno Tomoki

第1回から制作に携わる、乾雅人氏 photo by Kishiku Torao第1回から制作に携わる、乾雅人氏 photo by Kishiku Toraoこの記事に関連する写真を見る乾雅人(SASUKE総合演出家)インタビュー前編

 アメリカ、ドイツ、フランス、オーストラリア、そして日本。各国の完全制覇者をはじめ名だたる戦士たち、総勢35名が聖地・緑山に集結し、SASUKE史上初の世界大会「SASUKEワールドカップ2024」が開催。8月 21日(水)TBS系列でよる6時30分から放送される。

 そこで今回、第1回から制作に携わり、現在も総合演出を務める乾雅人氏にインタビュー。前編ではSASUKEと海外現地制作によるNINJA WARRIOR、その誕生秘話を聞いた。

【スポーツではない番組の面白み】

――SASUKE史上初の世界大会「SASUKE ワールドカップ2024」を日本で開催しました。大会の話にさきがけ、まずSASUKEについて改めて伺いたいのですが、もともとはスポーツバラエティ『筋肉番付』の、いちコーナーとしてスタートしたそうですが。

乾 そうです。1997年にオンエアされた特番の一部で、「100職種=100人」が障害物のある4つのステージをクリアするという構成は現在と同じですが、最初は完全な見切り発車。テストもほどほどでファーストステージが何人クリアできるか、見当もついていませんでしたから。千葉県・浦安のホールをお借りしましたが、夜になっても収録が終わらない。しかも障害物がやたら破損するなどトラブルが続出し、完全制覇者はゼロ(笑)。現場で各部署の偉い人から怒鳴られまくり、地獄のような現場でした。

――第1回から、視聴者の反応はよかったんですか。

乾 最初はよくもなく、悪くもなくですね。番組的にいけると思ったのは第3回(1999年春)から。ミスターSASUKEこと、山田勝己さんが自前のセットを自宅に作り、13キロ減量。決死の覚悟で臨んだんですが、ゴールまでわずか30cmで失敗に。以降、山田さんは仕事を辞め、SASUKE一筋の人生を送るようになります。

 また第4回(1999年秋)では元毛ガニ漁師・秋山和彦さんが初の完全制覇を達成し、大いに沸きましたが、秋山さんは先天性の弱視を患っていました。当初、本人は障害を隠したがっていましたが、話し合いのうえでそのことを公表したところ反響があって。そうした山田さん、秋山さんらの姿から番組が一気に人間臭いものにシフトしていきました。以降、一見くだらなく見えることだけど、命がけで挑戦し続ける、そんな生々しい人間ドラマを意識しています。

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