SASUKE誕生秘話 総合演出家、乾雅人が振り返る「最初は偉い人から怒鳴られまくり、地獄のような現場だった」 (3ページ目)

  • 大野智己●取材・文 text by Ohno Tomoki

【世界中にいる熱狂的なファン】

――そんなSASUKEが2005年以降、海外でオンエアされ、さらには世界各国で、現地制作版『NINJA WARRIOR』も制作されるようになりました。

乾 最初は香港で、中国語のタイトルと字幕をつけオンエアし始めました。2009年にはアメリカで現地制作版「AMERICAN NINJA WARRIOR」がスタートします。アメリカのケーブルテレビでオンエアされたSASUKEが大ブレイクし、満を持して制作が始まりました。

 とにかく当時の人気はすごかったらしいです。完全制覇を達成した長野誠さんと漆原裕治さんが、イベントに招待されて渡米したらスーパースター扱いで、サインを求める長蛇の列ができたと聞いています。

――そこまで人気だった理由はなんだったのでしょうか。やはり一般の人たちが難易度の高い障害物に、全力で挑戦する姿が魅力的に映ったのですか。

乾 だと思います。あと当初は100人が挑戦して、誰もクリアしないスタイルも珍しかったようですね。のちに現地制作版が始まる時に、最もディスカッションの対象になったのが、"誰も勝者がいないことの是非"。向こうのノンスクリプト(脚本のない)ものは、必ずチャンピオンを決め、「この方です!」で終わるんです。

 SASUKEは、誰が勝つんだろうってワクワクして見始めたものの結局、全員が脱落し「また来年~!」となる(笑)。最初は(番組として)当たらないだろうと言われていたんですけど、蓋を開けたら大ヒット。山田さんや長野さんのようにすべてをかけて挑んでもいつもギリギリのところで失敗してしまう姿も共感を誘ったようです。リアリティショーとしてウケたんじゃないでしょうか。

――乾さんら日本人スタッフは、現地制作版に関わっているのですか。

乾 ほとんど関わっていないですね。現地制作版は、「出場者=100名」「ステージ=4つ」などベーシックなフォーマットのみ共通のものとして守ってもらい、細部に関してはそれぞれにお任せしています。たとえばアメリカ版は毎週、全国各地で予選をオンエア。そこで代表となった方々がラスベガスで決勝を行なうスタイル。それらは先方から提案を受けましたが、すごくいいと思いましたね。障害物や番組スタイルにそれぞれのお国柄が表われているのが、NINJA WARRIORの大きな魅力です。

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