『仮面ライダーガッチャード』クロトー役・宮原華音が語る空手少女時代「男の子に勝てることが自信になった」 (2ページ目)
【空手で日本一に】
水泳にダンス......習いごとはたくさん通った。ほかの習いごとは嫌々続けていたが、空手だけはやめなかった。その理由は単純だ。強かったからだ。ほかの子と比べて圧倒的な武器となったのが身長だった。
「小学生2年生で140cmくらいありました」
東京都の8歳の男児の平均身長は約130cm。10cmのアドバンテージは大きかったようで、空手を始めてわずか半年後の大会で彼女は優勝を果たす。
3年生になっても身長がどんどん伸びていた宮原は、6年生の試合会場に案内されたこともあった。
「3年生の場所で待っていると、審判の方に注意されるんです。『君の試合会場はここじゃないよ』って」
特に小学校低学年では、体格差がそのまま強みとなる。長い手足を振り回されたら、体格的に不利な相手は怯むだろう。
それに加えて、宮原には先天的な運動神経のよさもあった。宮原の両親もアスリートだった。父親は卓球、母親はソフトボール。「勉強はできなくてもいいから運動は一番になれ」という"家訓"を宮原は守り続ける。
男子の体格が女子に追いつく高学年になっても、彼女の負けん気が失われることはなかった。彼女は格闘技で男子と対等に渡り合えることに喜びを見出す。ファイターの素質があったのだろう。
「ケンカをしたら女の子は勝てない、という先入観があったから、男の子に勝てることが自信になったんです」
ただ、試合に勝っても、親が宮原を誉めることはほとんどなかったという。大きな試合が近づくと彼女は両親と食卓で向かい合い、勝利を約束する。そして「次の試合に勝ったらゲームのカセットを買う」と約束を取りつけるのだ。それはご褒美というより、まるでミッション達成による報酬のようだったと笑う。
小学校5年生で160cmあった彼女は、全日本少年少女空手道選手権大会で優勝する。中学でも同じように空手を続けて、都大会で好成績を残す。
同時期に、ティーン雑誌の読者モデルに応募して見事に合格。誌面にも何度も登場したが、ティーン誌最盛期の当時はライバルも多く、特別な人気を獲得することはなかった。
中学校に入ると、自分の背の高さを生かせる場所を探すようになっていた。大きくていいことはバレーボール、バスケットボール、そしてモデル。消去法で残ったのがモデルだった。中学3年生になると、三愛のイメージガールに応募してモデル活動を始める。
「背が高いから、当時は『でかのん』って呼ばれてて、それが嫌だったんです。だからこそ、何かで見返したかった」
ちなみに、中学には空手部がなく、陸上部に所属して100mで都大会に出場している。アスリートとしての素質は明らかにあった。だが、さらに上まで突き抜けるには、もうひとつ何かが足りないことも気がついていた。悩んだ結果、選んだのが芸能活動だった。
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