【水泳】松田丈志が銅メダル。「北京以来、快心のレースができた」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 そして松田を子供の頃から指導し、二人三脚でここまでやってきた久世由美子コーチも「フェルプス選手からも、必死に泳いでいる気持ちがヒシヒシと伝わってきたし、堂々と競り合ういいレースだったと思う。彼にそういうレースをさせただけでも、十分に価値のあることだったと思います」と笑顔で語った。

 打倒・フェルプスと金メダルを狙いながらも、結果は北京と同じ銅メダル。だがその重みは少し違う。

「北京は喜びがいっぱいの銅メダルだったけど、今回は金を狙っていたし、『ひとつでも順位をあげたかった』という悔しい気持ちもある銅メダルです。ただこの4年間は、『もう五輪を目指せないのかな』と思った時期もあったし、この舞台に戻ってこられるとは考えられないような状況にいる時もあったので。そういった中でコーチや家族をはじめとして本当にいろんな人に支えられてきた。その意味ではそんな人たちと一緒に獲った銅メダルだという気持ちがします」

 フェルプスがどれほど偉大なスイマーでも、競技をやるからには勝ちたいと思う気持ちは当たり前のようにあり、彼を倒して北京以上の結果を残したいという思いもあった。そんな存在が居てくれたお蔭で、自分自身を向上させることもできた。だが、「そんな個人的な気持ちだけではダメだっただろう」とも言う。「多くの人たちの支えがなかったら」「自分ひとりだったらここまでは頑張れなかった」だろうと。それはスポンサーもなく、五輪の銅メダリストでありながら、競技を続けられるかどうかという状況にまで追い込まれた経験が言わせる言葉でもある。

「幸いにも所属先が決まってからは、挑戦するということに関して、思う存分にやれたというのはあります。自分のやりたいようにやらせてもらえた充実感はあるし、強くなるために色々な試行錯誤をしてきたのも、本当に楽しかったですね」

 そんな4年間の思いが詰まった銅メダル。表彰式後に松田は「北京よりでかいですね」と言って笑顔を見せた。

 だが、まだまだやりたいと思うことはたくさんあるはずだ。試行錯誤を繰り返してつかみかけた自分の泳ぎをさらに追求することや、フェルプスだけではなく若いライバルが出現してきたこともある。そして何より、自分自身が高速水着を着て出した1分52秒97という日本記録を超えることだ。

 このロンドンでは、世界記録も続々と飛び出し、「もう水着云々を言っている時ではない」ということが証明された。それを自分自身でも証明することもまた、松田がまだ果たさなければいけない課題だろう。

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