【箱根駅伝2025】青学大主将・田中悠登は痛みと向き合いラストランへ 「大手町で笑おう、をイメージできるようになってきた」 (2ページ目)
【大手町で笑うために走り続ける】
「去年12月の富津合宿でインフルエンザが流行したんですが、僕はその時期に名古屋でアナウンサーの就職活動があって、インフルには罹らなかったんです。正直、ラッキーかなと思っていたんですが、そんなにうまくはいかないものですね。合宿を抜けた分を取り戻さなきゃと思って、頑張りすぎてしまいました。すると12月中旬になって、股関節のあたりが痛いな、となって。それでも練習をこなしていたんですが、どんどん痛みが増していきました。クリスマスあたりには、あと10日、なんとかもってくれと願うような日々でした。痛みが限界に達し、痛み止めも効かなくなって、走れないと決まったのは12月30日でした」
区間エントリーの時点では、あきらめていなかったのである。気持ちの折り合いがつくわけがない。
「泣きましたね。めちゃくちゃ泣きました。でも、泣いてしまったらスッキリしたのか、自分がやれる仕事をやろうと気持ちを切り替えました。ここで逃げちゃダメだと思いましたし、チームのために仕事をして、自分も人として大きくなれたらと考えました。SNSを利用して自分が走れないことを伝えつつ、青学のことを応援してほしいと思って、レポートさせてもらいました」
箱根駅伝が終わってから、自ら望む形でキャプテンになった。一方、現役生活は大学までと決め、アナウンサーを志して、生まれ故郷の福井の放送局から内定をもらった。
「キャプテンになってから、練習前のスピーチにはこだわっていました。アナウンサーになるということもありますけど(笑)。それよりも、日々の気づきをポジティブな形でみんなに伝え、前向きな気持ちで練習に取り組んでほしいなと思っていたので」
部全体をポジティブなムードに。それを意識していたが、自分の故障は一進一退を繰り返した。よくなってきたかな......と思って練習を再開すると、また痛みがぶり返す。夏合宿をすぎても、その繰り返しだった。
ようやく、練習がしっかり積めるようになったのは、10月に入ってから。そして全日本を前に、田中からこんなことを伝えられた。
「夏合宿に取材していただいた時は、本当に前が見えない状態でしたが、なんとかスタートラインに立てそうです」
田中にとって、タスキを受け、つなぐこと自体が大きな喜びだった。しかし、全日本の5区を走っている間も、腰から臀部にかけての痛みは田中を苦しめた。
「どこまで行っても、痛みが追いかけてきます」
MARCH対抗戦を経て、青学大は11月下旬から1週間、最後の強化合宿を千葉・富津で行なう。ここでどれだけビルドアップできるか、田中だけではなく、箱根駅伝連覇を狙う青学大にとっての課題になる。
来年の4月からはカメラの前で話すことが田中の仕事になる。その前に、箱根駅伝がランナー田中悠登のラストランとなる。
「大手町で笑おう。自分自身が、悔いなく準備して、納得いく走りをして、大手町で笑いたいと思ってます。具体的にイメージできるようになってきました」
痛みは去らないかもしれないし、収まるかもしれない。
それでも、田中悠登は向き合う。
連覇を懸け、青山学院大のキャプテンとして。
著者プロフィール
生島 淳 (いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo
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