「箱根駅伝で優勝を争えるチームに」3年連続出場を狙う立教大学の現在地とは (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 選手の現状を把握する意味もあり、就任直後に5000mのレースを見たが、ほぼ全員が3000m以降でペースが落ちた。

「立教の選手はスピードがありますが、後半にペースが落ちてしまうため、スタミナ、つまり長距離を走る上での土台が不足していました。そのため、日々の練習を通じてその土台を築いていけば、持っているスピードを活かせるようになると選手に伝え、土台をつくる練習にシフトしていきました」

 ただ、なかなか最初は理解されなかった。

「走りなさい」というと、選手は距離を踏む方に思考が進む。その結果、「今日、俺は30キロ走った。満足!」「今日は20キロだった。よくない」といった会話が増えていった。

「私が伝えたかったのは、単純に走る距離を増やすことではなかったのですが、うまく伝わりませんでした。そのため、1週間のサイクルの中で練習の考え方や練習量の目安、注意点などを丁寧に説明しました。」

 新たな取り組みを進めていく過程で、髙林が「信頼」「実績」の両面を得ることができたのが全日本大学駅伝予選会だった。昨年は7位の国士館大と14秒差の8位に終わり、涙を飲んだが、今年は5位で初出場を決めた。結果を出したこと自体すばらしいが、この時の髙林の采配で目を引いたのが2組目に1年生の鈴木愛音、山下翔吾を起用したことだ。

「鈴木は当初出走させる構想はありませんでしたが、最終調整の動きが目を引いため、抜擢しました。練習どおりに走れば大丈夫だと思っていましたし、2組目の過去の傾向からも問題ないと考えました。実際、鈴木はよく走ってくれたと思います。常に現場の細かいところまで目を配り、大胆に起用していく戦略は大八木さんから学びました。一見すると大胆に見えるかもしれませんが、実は非常に細かく観察しているのです」

 レース後、林虎大朗(4年)は「自分たちがやってきたことが正しかった」と笑顔を見せた。林が語るように、この結果は髙林への信頼を確固たるものにしたという意味では、大きなターニングポイントになったと言えるだろう。
 
 しかし、すべてがうまくいっていたわけではない。
 
 その前からもその後も、強度の高いポイント練習や距離走では指揮官を悩ませることが多々あった。レベルに合わせてグループ分けをして練習を行なっていたが、髙林曰く『よく言えばチャレンジ、悪く言えば自分の事がわかっていない』ものだった。そのため、練習中に選手が遅れてバラバラになることがよくあった。

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