パリオリンピック男子3000m障害 2大会連続入賞の三浦龍司が掴んだ「勝負できる」手応えと"サンショー"の伝道師としての役割 (2ページ目)
【勝負できたことへの手応えとこれから】
ペースの上げ下げ、集団内での走り方などこの3年間の経験を活かした三浦 photo by JMPA
3日前の予選は、最初から先頭集団が400mを1分1秒台で通過する展開になったが、三浦は、エイブラハム・キビウォット(ケニア)とフィレウが最初の1000mを2分45秒くらいでいくと話していたのを聞き、それについていくことを決めて8分12秒41の4着。着順通過(組5着以内)で決勝進出を果たした。
海外のレースに積極的に出ていくことで顔見知りも増え、雑談やレースの相談さえする。この3年間、世界選手権とダイヤモンドリーグ(DL)で経験を継続的に積み、海外のトップ選手たちとの関係性を作れていることも、東京五輪の頃から格段に成長していることを示している。
「東京五輪の時は勢い任せだった。それもよかったと思うが、今では実力もついて勝負や駆け引きができるなかでレースができるようになった」と、三浦は言う。
その言葉を裏づけるように、難しいレースにも対応して8位という結果を出したことを誇らしく感じている。
「2大会連続入賞というのは、すごく立派だなと思います。ただ、自分としては目指しているところはもうちょっと上位の入賞にあるし、勝負ができるような選手になりたいので、今日のような(上位争いの)レースのなかにもっと入っていける力をつけたいと思います。
本当に今回はラスト500m、600mの速さが勝負の分かれ目だったと思うので、そこを強くなっていかなければと思います」
予選があるのは基本、世界選手権やオリンピックだけ(ダイヤモンドリーグは1レース)で、しかも予選と決勝でレースの性質は異なってくる。その面白さを経験できるのが世界大会。
来年は、東京で世界選手権が行なわれる。
3000m障害の本当の魅力を肌で感じてもらい、好きになってもらいたい----三浦がそんな思いを強くしたのも、オリンピックや世界選手権という真剣勝負の場でしか味わえないスリリングなレースを積み重ね、パリ五輪で"自分も戦える"という手応えを得たからに違いない。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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