北口榛花は世界を目指すために日本大に進学 大学2~3年時の伸び悩みをライバルや恩師はどう見ていたか (2ページ目)

  • 寺田辰郎●取材・文 text by Terada Tatsuo

【普通にできていたことができなかった大学2年時】

 しかし、北口が大学2年の時、日大のやり投コーチが辞職してしまい、コーチ不在が北口の成績に影を落とす。北口自身にもケガや体重管理の失敗などの理由はあったが、2年時、3年時と自己記録を更新できなかった。

 2年時(17年)は世界陸上代表入りを逃したが、学生の世界大会であるユニバーシアード(8月、台北開催)に出場した。しかし56m30の10位で入賞もならず。斉藤真理菜が62m37の自己新で2位。斉藤は同年の世界陸上ロンドンにも出場し、学生第一人者のポジションを固めつつあった。

 コーチがいなかったため、台北には松橋氏がコーチ役として帯同した。

「調子自体は悪くなかったのですが、試合で力を出すという、高校時代は普通にできていたことができなくなっていた。本人は、毎日見てくれるコーチがいないことへの不安を口にしていました。斉藤さんをはじめとするライバルたちは、投てきの専門のコーチがしっかりと見ていましたから」

 それでも9月の日本インカレ(学生選手権)は優勝した。斉藤が2回目の60m24でリードし、山下が3回目の57m11で2位につけていた。北口は3回目終了時点では53m06の5位と振るわなかったが、5回目に58m54で2位に上がると、最終6回目に60m49を投げ、斉藤を逆転した。10月の国体も5回目の61m07で、山下を逆転して優勝している。

 山下はその頃の北口を振り返り、「助走が投げにつながるようになっている」と感じていた。

「単純に見て助走距離が伸びていました。やりの引き方を変えたり、試行錯誤をしたりしていることが見ていてわかりました。自分が目指すものを見据えて、リスクを負ってでも変化を怖れず行動できる。その姿勢が今の北口選手の強さにつながっています」

 北口本人にとっては納得できるシーズンではなかったかもしれないが、苦しみながらも技術を追求し続ける姿勢が、その後につながるシーズンとなった。

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