陸上男子200m優勝の型破りなスプリンター鵜澤飛羽「陸上は2025年の世界選手権東京大会までで、終わったら辞めてもいいかな」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 岸本勉●撮影 photo by Kishimoto Tsutomu

「最近はまだ10割に仕上げるというのではなく、8割くらいをキープし続けるという、動きや調整をずっと繰り返してやっていてスピード練習もあまりやっていません。そういうなかでもちゃんと勝ちきらないといけないので、予選は決勝へ向けた刺激にというくらいにしか考えていませんでした。それでも風の条件がよかったこともあり、8割に合わせたなかで10割を出しきれてあの走りができたのは、決勝に向けて自信になりました」

 こう話す鵜澤だが、突然力を伸ばしてきたのではなかった。中学までは野球をやっていたが肘を痛めて断念し、宮城県築館高校に進学して本格的に陸上を始めた。高校時代のベストは100mが10秒45で200mは20秒83だが、高校2年だった2019年8月には陸上歴1年4カ月ながら衝撃の走りをしていた。沖縄インターハイで非公認ながらも、100mを追い風2.9mの条件の10秒19で制し、200mも2.1mの追い風で20秒36を出して優勝して2冠をしている。

 特に200mは風速が0.1mだけ強かっただけで、サニブラウン・ハキームが15年に出した20秒34の高校記録に肉薄するタイム。その才能を評価されて日本陸連が有望選手と認定するダイヤモンドアスリートにも選出されたが、高校3年の時は新型コロナ拡大のためにインターハイが中止となり、連覇の夢は絶たれケガにも悩まされた。

 周囲からは期待される選手だったが、「高校を卒業するときも大学に行こうか悩んでいたので、8月下旬の県選手権が終わってからはほとんど練習をしていませんでした」とマイペース。結局、筑波大に進んだものの、2021年5月の関東インカレ100m決勝で2位になった時に左ハムストリングの肉離れを起こしてしまった。

「予兆はあったけど、初めての関東インカレで頑張ろうという気持が先行し、棄権という選択ができなかった」

 こう振り返るが復帰までの道のりは長いものだった。

「車椅子の時期が結構長くて、そこから松葉杖をついて、歩いて、ジョギングを始めてという感じだったので、4~5カ月かかりました。もう1回やったら多分引退しなければいけないようなケガだったので、2度目のケガをしないようにすることを優先して体の使い方など、細かなことに取り組みました」

 競技に戻った昨年は200mの自己記録を20秒54まで伸ばしたが、今年はそれをさらに伸ばしている。追い風参考で20秒10を出した静岡では、「スタートはそんなに突っ込みすぎずに後半行けるようにするレースプランだったが、カーブを抜けた時点でそれなりに前にいたので、あとはいつもどおりに行けばと思ったけど途中で力みが出てしまった。ケガをしてから2年経つけど、まだ8割方しか治りきっていないので左足を使いきれていないのが出てしまった。そこは改善点だと思います」と冷静に分析している。

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