箱根駅伝の名勝負。抜きつ抜かれつ「紫紺対決」の戦略合戦はすごかった (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 その翌年、駒澤大の大八木コーチは前回往路で使った主力の西田隆維(4年)と揖斐祐治(2年)を9区と7区に配置する。そして、「藤田など主要区間を走った4年生4人が卒業した今年は、1年生を使えるようにしなければいけない」と、往路には1年生3人を起用する思い切った作戦に出た。

「総合優勝を目指すなら、往路で順大に2分ぐらいなら負けてもいい」という気持ちで考えていたが、そんな攻めの姿勢が学生たちの好走を呼び込んだ。

 1区は順大が前回と同じ岩水嘉孝(2年)だったのに対し、駒澤大は島村清孝(1年)。法政大がスタートから飛び出して独走する中、島村は岩水をマークして同タイムの3位で襷をつないだ。

 2区には、最後の上りを考慮して前回5区の神屋を起用したが、先頭の法大がジワジワと差を広げる中、順大の高橋謙介(3年)とけん制し合いながら、同タイムで3区につなぐマッチレースになった。3区の布施知進(1年)は少し抑えた走りになったものの、順大を突き放して35秒差をつけた。

 4区では、前年から力をつけてきた順大の野口英盛(2年)に逆転されて差は1分29秒に広がったが、5区では10km手前で松下龍治(1年)が、順大をかわしてトップでゴール、と想定以上の結果。5位の順大には1分59秒差をつけていた。

 翌日の復路では7区の揖斐が、6区で順大と2分8秒あった差を4分19秒に広げ、2位につけていた中央大との差も広げて優勝を引き寄せた。揖斐が最初から飛ばす攻めの走りだったのは、守りの走りで優勝を逃した前回の反省から「復路も攻めの姿勢で走るように」との指示が出ていたからだった。

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