桐生祥秀が日本人スプリンターの意識を変えた日。「世界と勝負する」 (4ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 桐生は、フランス人選手として初めて10秒台の壁を突破したクリストフ・ルメートルを指導したコーチから、「9秒台を出すためには10秒0台をコンスタントに出さなければいけない」と言われたことがあった。その言葉を意識しながら出す10秒0台は、十分に好記録と言えた。

 だが、日本で桐生の参加する大会では、10秒台の記録が出ても、観客席から聞こえてくるのは大きなため息だけ。そんな反応を目の当たりにすると、大きな疲労感を覚える。桐生はそう話していた。

 17年は、前年のリオ五輪4×100mリレーで銀メダルを獲った高揚感を持って臨んだシーズンだった。練習もかねて出場した3月のオーストラリアのレースで桐生は、いきなり10秒04を出すと、帰国後4月23日の吉岡隆徳記念で10秒08。6日後の織田記念では向かい風0.3mで10秒04と絶好の滑り出し。だが、日本選手権では予選と準決勝で10秒06を出したものの、決勝では大会記録の10秒05で走ったサニブラウン・ハキームらに敗れて4位に終わる屈辱を味わった。

 そして、迎えた9月9日の日本インカレ。桐生にとっては、4×100mリレーのみの出場だった世界選手権から約1カ月後の大会で、モチベーションの維持は難しかった。それでも、東洋大のユニフォームを着て走る最後のレースという思いがあった。さらに、世界選手権では観客席から100mと200mを観戦し、サニブラウンがそこで戦う姿を見て感じた悔しさも内なるエネルギーになって蓄積されていた。

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