2019.07.24

バルセロナ五輪男子マラソン、「こけちゃいました」と壮絶な優勝争い

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 転倒した谷口は8位。のちに谷口はこう話してくれた。

「スタジアムに入った時に1位がまだゴールしてなかったから、アレっと思ったんです。『差はまだ400mだけじゃないか。まだやれるな』という気持ちでゴールできた。それで素直に『こけちゃいました』という言葉が出たのでしょうね」

 日本勢3人の入賞は、日本やアメリカがボイコットした80年モスクワ五輪の際に、ソビエト連邦が3、4、5位になったことに続く五輪史上2回目の記録(当時)だ。金メダルには届かなかったが、日本男子マラソンの強さを見せる結果となった。

 その後、森下は故障に苦しんだ。その間、牽引者不在となった日本男子は低迷期に陥っていく。

「誰か(ライバル)が出てきてくれたほうが良かったかもしれませんね。出てこないので、安心して動き出すのが遅れてしまった。でも94年アジア大会の時に、優勝した黄選手が僕の写真を部屋に貼っていると言っていたのを聞いて、刺激されました。そんな風にライバル視されているのに、自分はそんな資格もないだらしない生活をしている。恥ずかしいなって。それに応えて本気にならなければいけない、と思いました」

 96年アトランタ五輪の選考レースが始まろうとする95年秋にこう話していた森下だが、結局は五輪選考会には出場できなかった。彼は3戦2勝、2位1回という結果を残して、マラソン人生を終えた。

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