箱根駅伝2区の主役候補。塩尻和也は日本人最速記録に自然体で挑む (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Sportiva(人物)、AFLO SPORT(競技)

 順大に入ってからは3000m障害を中心にトラックに力を入れ、その競技で日本インカレ4連覇を果たしているほか、16年リオデジャネイロ五輪は参加標準記録には惜しくも届かなかったものの、国際陸連からのインビテーションで出場を果たした。

 さらに17年は「1万mの記録は前の年に出したから今年はいいと思って」と、日本選手権とアジア大会、日本インカレをターゲットに、3000m障害に臨み、日本選手権では8分29秒14の自己ベストで優勝。8月のアジア大会でも8分29秒42で銅メダルを獲得した。

「日本選手権はその前に順大記録会に出て2000mまで走ったのですが、その時の感覚だともう2~3秒は早く走れたと思うので、そこはちょっと残念でした。アジア大会は他の選手がなかなか前に出てくれず引っ張る展開になってしまったなかで、自己ベストに近いタイムを出したのは今後に向けての収穫でした。

 ただ、優勝した選手たちに前に出られた時に、しっかり食らいついていけなかったのが反省点。国際大会でメダルを獲るという結果を残せたのはよかったですが、全体としては80点くらいの結果だったと思います」

 そう振り返る塩尻は、9月の日本インカレまで3000m障害に取り組んでいたが、秋になると箱根モードに切り替わった。今年からハーフマラソンになった10月の箱根駅伝予選会で、日本人学生歴代6位の1時間01分22秒を出して日本人トップの全体2位になり、11月の全日本大学駅伝では4区で9人抜きの快走で区間賞を獲得と順調だ。

「予選会はインカレからの間が短かったし、2~3週間くらい前まで調子が上がってこなかったので不安でした。自分でも62分から62分半の間くらいで走ることができれば、と考えていたので結果にびっくりしました。去年はインカレが終わってから出雲、全日本とだんだん距離が増えていく形でしたが、今年はそういう流れじゃなくても記録が出たので、大学の4年間でしっかり距離への対応ができたということだと感じました」

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