全日本大学駅伝で東海大Vのカギを握るのは「出雲を外された4年生」 (3ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text & photo by Sato Shun

「箱根は髄膜炎が治って走ったんですが、ボロボロに終わり、そこから自分の走りの感覚がわからなくなり、思うように走れなくなったんです。フォームを矯正したりしたんですが、出雲(4区・区間6位)も全日本(2区・区間13位)も結果につながらず、モヤモヤしているうちに箱根が来てしまったんです。ヤバいなって思っていたんですが、3年の時の箱根がすごく楽しく走れたんです。何がきっかけかとと聞かれてもわからないんですが、その後の都道府県駅伝や丸亀ハーフでもそういう気持ちで走れた。

 そうして、今年はスピードをつける練習をしつつ、距離も踏んできた。このままいけば1年の時以上の走りができると思っていたので、出雲に出られなかったのは、やっぱり悔しかったです」

 1年の時以上の走りができる──それを裏付けるだけの練習はしてきた。

 夏の白樺湖選抜合宿では、筋トレに励み、故障しない体作りと体幹強化に励んだ。練習後も車ではなく、ジョグしてホテルに帰ったり、周回ジョグの回数も多くしたり、自分なりに量を重視して走った。また、チーム練習では春日千速(4年)や國行とともにチームを引っ張り、先頭に立ってトレーニングに取り組んだ。

「学生最後の夏合宿ですし、一番頑張った夏合宿にしようという目標を立てたんです。白樺の周回コースをプラスして走ったり、移動をジョグで走っていると、その姿を見た三上(嵩斗/3年)や關(颯人/せき はやと/2年)、松尾(淳之介/2年)が一緒に走るようになったりして、4年生として後輩を引っ張ることができた。個人的にも今年つけたスピードにプラス、スタミナをつければ、走力がより向上して記録も狙えると思えるほど、夏合宿ではしっかりと距離を踏むことができた。すごく手応えのある合宿になりましたし、もちろん出雲への手応えもありました」

 しかし、すでに出雲は終わってしまった。

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