あの旭化成陸上部にケニア人が加入。72年目の改革断行はなぜ? (5ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

 リオデジャネイロ五輪マラソン代表の佐々木悟は「去年の11月の九州実業団でMHPS長崎に負けたあと、主将の丸山文裕が声をかけて選手だけのミーティングをやりました。そこで最年長の足立知弥が『来年外国人選手が入ってくるようになれば、今回(ニューイヤー駅伝)が日本人だけで走る最後の駅伝になるかもしれない。だから優勝を狙ってしっかりやろう』と話をしました。スタッフも目標順位は口にしなかったし、自分も正直優勝までは厳しいかなという思いもありましたが、選手の間ではやってやろうという気持ちになっていました」と言う。

 本番の3区からの追い上げは、そんな意識が生んだものだったと言える。

「『もしかしたら日本人だけで走るのは最後かもしれない』ということで選手たちの結束力も高まっただろうし、実際に勝ったことでスッキリしていると思います。勝てないから外国人を採ったのではなく、より強化するために採ったのだということを堂々と説明できますから」(坂本常務)

 以前から、ほかの実業団チームや大学に出向などでコーチを派遣し、自分たちが培った練習のノウハウを伝えることで日本長距離界のレベルアップに貢献している名門・旭化成。陸上部創部72年目の今年、新たな歴史の扉を開こうとしている。

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