【月報・青学陸上部】原監督が描く「箱根から世界的マラソン選手への道」 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●文 text by Sato Shun  photo by Tamura Sho/ AFLO SPORTS


 中村は疲れた足を引きずるようにして合宿を終えた。しかし、その後も調子が上がらず、神奈川ハーフの数日前にフルマラソンを走ったが40km付近で止まってしまった。東京マラソンまで1ヵ月を切り、原監督もさすがに不安な表情を隠せないでいた。

 ところが、2月5日の神奈川ハーフで、中村は63分10秒とまずまずの結果を出した。その後、宮崎合宿で走り込み、合宿後半はチーム練習から離れて、マラソンの調整をして、東京マラソンに臨んだ。

「初のマラソンだし、2時間15分を切れれば上々でしょう」

 原監督は、そう考えていた。

 レースは序盤から世界記録を視野に入れたハイペースになった。5kmを14分13秒、1km2分50秒ペースで、2時間2分57秒の世界記録が出た時よりも29秒ほど早いラップだった。

「序盤からハイペースで、これは厳しいなって思った」

 中村は世界のトップランナーたちとの差を感じつつ、第3集団の中で落ち着いて走っていた。5km地点での通過タイムが15分3秒、この時点でトップと50秒の差をつけられていたが無理をせず、自分のペースを守っていた。

 原監督は25km付近で中村の様子を見ていた。

 序盤こそまずまずだったが、20kmのラップを見て、「まずいなぁ」と思ったという。10~15kmは15分8秒だったが、15~20kmは15分34秒とペースが落ち始めていたのだ。

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