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妻となり母となり、競技を転向してパラリンピック出場。谷真海が明かす、招致活動からの8年間 (2ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 撮影●矢吹健巳photo by Yabuki Takemi

――出産後の競技生活について、教えてください。トレーニングはどんなふうに進めたのですか。

「初めての経験でしたから戸惑いました。体の変化をかなり感じたので、まずは元の状態に戻すことから。とにかく睡眠不足だったので無理はせず、『運動は心身ともに健康に過ごすため』というところからはじめました。

 困ったのは妊娠中や産後のトレーニングについて、日本にはほとんど情報がなかったことです。でも、海外では出産後にオリンピックやパラリンピックに復帰するアスリートは少なくありません。そこで、妊娠中から海外の文献を探して、『ここまでやっていいんだ』など確認しながら、やれることを少しずつ実践しました。

 産後1カ月ほどで初めてジムに行ったのですが、得意だった腹筋が1回も上がらなくてびっくりしました(笑)。妊娠中も体は動かしていましたが、それでも産後のダメージがあったようで、これからどうなってしまうんだろうと不安になりましたね」

――そんな不安もあるなか、陸上からトライアスロンに転向してわずか2年。2017年には世界選手権で優勝されます。急ピッチでの快挙でしたね。

「走り幅跳びは13年に目標としていた5mを超え、世界選手権でも銅メダルを獲得できたので、妊娠のタイミングでひと区切りと思えたんです。トライアスロンは以前から、選手寿命の長い競技だと興味を持っていました。実は妊娠中からトライアスロンを意識して有酸素運動は続けていたので、産後もその継続という形で焦らずに進めました。

 そんなに器用ではないので、いつもバタバタでしたが、復帰1年目は夫の出勤前に練習時間を確保し、早朝のトライアスロンスクールに通うことから始めました。息子が1歳になると保育園に預けて会社にも復職しましたが、職場の理解もあり就業時間内にもトレーニングができました。おかげで、2017年の優勝につながり、ぼんやりした夢だったパラリンピックがそこからはっきりと見えたように思います」

――仕事、そして子育てや家庭と、いろいろな役割のなかでの競技生活でした。

「全部完璧にやろうとすると壊れてしまうと思ったので、まずは家族と子育て、次に競技があって仕事と、優先順位をつけました。私の人生のなかにスポーツがあってパラリンピックも目指そうという考え方ですね。たとえ、出場が叶わなくても人生は終わらないし、母として妻として会社員として戻る場所があるという安心感は心強く、大きな支えでした」

――息子さん(現在は6歳)はどのような存在でしたか。母とアスリートの間で揺れたり、どちらかに傾いたりしなかったですか? 

「競技だけに集中することなく、いい意味で生活にメリハリを作れました。保育園に迎えに行って帰宅後は息子との時間にしました。息子に合わせて自分も寝るスタイルが確立でき、早朝練習にも行きやすくなりました。息子に癒され、心も満たされ翌日を迎えられるというリズムはポジティブでした。

 ただ、パラリンピックの出場権獲得には必ず出場しなければいけない国際大会などもあり、遠征中に泣きじゃくる息子の動画などが送られてきたときには葛藤もありました。『ここまでしてやる必要があるのかな』って。でも、最初に『できる範囲で両立』と決めていましたし、最後まで目標を追い続けることで、息子のなかに何かいい思い出として残ってくれればと願いながら続けていました」

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