車いすラグビーも「ONE TEAM」。東京パラに向け次世代が成長中 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

「先輩たちは、体力的につらかったと思う。自分が少しでも出てカバーできていれば、勝てる可能性があったのに......。それでも出場できなかったのは自分に実力がないからです」と、涙ながらに率直な想いを吐露する姿が印象に残る。

 日本代表のケビン・オアーHC(ヘッドコーチ)は大会後、「今大会は若い選手たちのプレータイムをある程度確保する目的もあった。経験を積むことが大事。ただ、今の主力メンバーと育成メンバーにギャップがあるので、そこを埋めていかなくてはならない」と、課題を語っている。

 だが、初戦のブラジル戦で橋本を起用し、チーム最多の18得点を挙げてその期待に応えた彼に対して、「若くて才能がある。ワクワクする」と評価する。そして「ただ、彼に過剰なプレッシャーはかけたくないんだよ」と話すように、厳しくも温かく、成長を見守っているところだ。

 橋本は2002年5月に福島県で生まれた。先天的に手と足に障がいがあり、幼いころから車いすに乗って生活をしてきた。スポーツの経験はなかったが、14歳で車いすラグビーに出会い、「TOHOKU STORMERS」に所属。中学3年で日本選手権に出場し、そこでオアーHCに才能を見出された。そして昨年、高校1年で日本代表強化合宿に招集され、6月のカナダカップで初代表を経験。その年の世界選手権にも出場した。

 変化の時を迎えたのは、今年9月に韓国で行なわれたAOC。現地で受けたクラシフィケーション(クラス分け)で、橋本は最も障がいが軽いクラス3.5から、ひとつ重いクラス3.0に変更になった。コート上の4人の選手のクラス合計が「8点以内」とルールで定められている車いすラグビーにおいては、この「0.5」の差は非常に大きく、橋本のクラス変更について、池は「チームにとってはメリットしかない」と話すほど。

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