江村美咲「フェンシングを辞めたい」 相談を受けた母が返した言葉に「それは耐えられない」と踏みとどまった (2ページ目)
【ライバルふたりに負けたくない】
── 生活の中心は、やはりフェンシングですよね。
「はい。そもそもフェンシングは小学校3年生の時に、自分で『やりたい』と言って始めました。フェンシングをやっていたらかっこいいかな、くらいの気持ちでした。
ただ、父(江村宏二さん/ソウル五輪フルーレ代表)はともかく、母はフェンシングをあまりやらせたくなかったみたいで。バスケットボールなどの団体スポーツをやらせたかったと聞きました。でも、始めてからは応援してくれていました」
── 幼少期は大分県で過ごし、小学5年生の時に東京都板橋区へ引っ越されました。それまで取り組んでいたフルーレからサーブルに転向(※)したのも、この時期です。
※フルーレは、胴体とマスク下部のビブ(首を覆う部分)が有効面で、剣先による「突き」のみが得点となる。一方のサーブルは、腰から上の頭部、胴体、両腕が有効面で、「突き」に加えて剣身による「斬り」も認められる。
「フルーレではなかなか勝てなかったんですけど、たまたまサーブルの大会に出たら優勝したんです。賞品が『ウサビッチ』のジグソーパズルだったので出場したんですけどね(笑)。でも、その優勝がきっかけで、日本ではまだ層の薄かったサーブルに転向することにしました。
中学は地元の板橋区の学校に通いました。ただ、同い年で、福岡県のタレント発掘事業で見出されたふたりの選手(向江彩伽と髙嶋理紗/2014年仁川アジア大会では3人そろって代表入り)には、当初まったく勝てなかったんです。
ふたりは中学入学と同時に上京し、JOCエリートアカデミー(東京都北区)に入りました。彼女たちはフェンシング歴は短いのに、身体能力が高く、すぐに強くなっていった。この勝てない時期が、とても苦しかったです」
── お母さんに「辞めたい」と相談したのは、この頃ですか?
「そうですね。でも、母と話し合って、辞めないことになったんです。母からは『全然辞めてもいいけど、美咲が辞めたあと、将来そのライバルのふたりが活躍してテレビに出て、それを画面の前で見ている側になってもいいと思えるなら、それでいいんじゃない』と言われました。
私はやっぱり負けず嫌いなので、それは耐えられないと思って踏みとどまりました。母は、私の性格をわかったうえでそう言ってくれたのかなと思います。当時はただ、そのライバルふたりに負けたくない一心でした」
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