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競輪・山崎賢人を突き動かす「記憶に焼きついた光景」とは 失意の時期に見つけた答えで世界一となった過去を明かす (2ページ目)

  • text by Sportiva

ナショナルチームでの苦難も語った山崎 photo by Manabu Takahashiナショナルチームでの苦難も語った山崎 photo by Manabu Takahashiこの記事に関連する写真を見る

【新たな心境で世界一を獲得】

 しかし、世界の壁は高かった。アジア選手権ではスプリントとケイリンで2度金メダルを獲得したものの、世界を相手にするとメダルは遠かった。2021年の世界選手権ではケイリンで決勝に進んだものの5着となり悔し涙を流した。

 ナショナルチーム加入から約4年、必死に結果を追い求めたが、思うような成績を残せず、最終的にパリオリンピック出場の夢は果たせなかった。「それまでの大会で結果を出せなかったので、選ばれなかったのは自分でも納得していた」というが、自責の念に駆られていた。

 なぜ結果を出せなかったのだろう......。自問自答を繰り返すなかで、ひとつの答えにたどり着いた。

「自分は結果を求めすぎていて、気持ちに余裕がなかったのではないか」

 そしてパリオリンピックから2カ月後に開催された、2024年10月の世界選手権では新たな気持ちで挑むことにした。

「その時は、一歩引いて自分を俯瞰して見るような感じにして、目の前にあるレースに全力を傾けようという気持ちに変えたんです。そうしたら、気がついたら決勝を走っていて優勝していたという感じでした」

 さらに気づいたこともあった。

「それまで全然メダルを獲れない時期もありましたが、そんな時でもチームのみんなが『次、頑張ってね』と応援してくれたし、勝ったら自分のことのように喜んでくれました。世界選手権の時には、そんな人たちに自分のメダルで喜んでほしいなという気持ちがすごくありました。それはパリオリンピックの選考期間とは全然違う気持ちでした」

 支えてくれる人たちの期待に応えたい。それが山崎の体をつき動かす原動力になり、自転車競技の選手であれば、誰もがあこがれるアルカンシェル(世界一の称号)を手にすることができた。

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