【平成の名力士列伝:旭鷲山】モンゴル出身力士のパイオニアとして切り拓いた道と業師としての衝撃 (2ページ目)
【朝青龍との遺恨とモンゴル勢に切り拓いた道】
一方で、モンゴルの後輩である朝青龍とは、遺恨が勃発してしまった。平成15(2003)年5月場所9日目は立ち合いで散々じらされた朝青龍の顔面に、旭鷲山のもろ手突きがヒット。これで冷静さを欠いて上体だけで前に突っ込んできた横綱をモンゴルの先輩が、土俵際でジャンプしながら引き落とし。同郷の後輩から初めて金星を奪い、この1勝が大きくモノを言い、8勝7敗で初の殊勲賞を獲得した。
敗れた朝青龍は東の入場口に戻る際、すれ違いざまにさがりを振り回し、旭鷲山にぶつけてきた。目に余る横暴ぶりに「横綱がさがりを当ててきたのは許せない。一人のせいで優しくて我慢強いというモンゴル人のイメージが悪くなるよ」と同じ母国の兄弟子として苦言を呈した。
両者は翌7月場所5日目にも顔が合い、朝青龍が叩いた際に髷を掴んで反則負け。平幕力士が反則で横綱に勝った初めてのケースだったため、記録の扱いに苦慮した協会からの金星不適用の発表は後日となった。勝負後、風呂場で鉢合わせた両者はつかみ合い寸前になったが、大関・魁皇の仲裁により、その場は何とか収まった。しかし、怒りが収まらない朝青龍は帰り際、旭鷲山の車のサイドミラーを破壊する暴挙に出た。結局、周囲のとりなしもあり、直後の夏巡業で握手を交わした両者は、ひとまず"和解"した。
平成18(2006)年3月場所は11勝で2度目の敢闘賞を受賞したが、関脇・白鵬が殊勲、技能の両賞に輝き、安馬も技能賞を獲得。三賞をモンゴル勢が独占し「安馬と白鵬は俺がモンゴルから連れてきた力士。3人で一緒に(三賞を)獲りたかったんだよ。2人に囲まれて敢闘賞をもらえるなんて最高だ!」と満面の笑み。自身にとっては最後の2ケタ勝ち星と三賞となり、同年11月場所、58場所連続平幕在位という史上1位の記録を残し、土俵を去った。
旭鷲山が切り拓いた道を朝青龍、白鵬、日馬富士ら、モンゴルの後輩たちが歩んでいき、平成以降の角界に一大勢力をもたらした。自身は引退後、母国で実業家に転身。国会議員として大統領補佐官も務めるなど、多方面で活躍している。
【Profile】
旭鷲山昇(きょくしゅうざん・のぼる)/昭和48(1973)年3月8日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身/本名:ダヴァー・バトバヤル/所属:大島部屋/初土俵:平成4(1992)年3月場所/引退場所:平成18(2006)年11月場所/最高位:小結
著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。
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