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【平成の名力士列伝:智乃花】27歳で角界入りを果たし、人気小兵力士として活躍した異色の元アマ横綱&高校教師 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【「小よく大を制す」正攻法の相撲 1場所で3大関撃破も】

 174センチ、113キロの小兵・軽量ながら、相手の懐に入って右四つに組んでの寄り、下手投げ、下手捻り、内掛け、内無双も繰り出して大きな相手を翻弄する相撲は痛快そのもの。十両2場所目の平成5(1993)年1月場所12日目の花ノ国戦では、相手の懐に潜り、後ろに反り返って引っ繰り返す「居反り」の大技を十両以上では29年ぶりに披露している。新入幕の平成5(1993)年7月場所は9勝6敗、9月場所は3日目に新入幕の「平成の怪物」武双山(のち大関)との元アマ横綱対決を下手投げで制するなど9勝6敗で初の技能賞、11月場所は3日目に大関・武蔵丸を押し出し、6日目に大関・貴ノ花(のち横綱)、8日目には大関・小錦をいずれも下手投げで破り、3大関を撃破しての8勝7敗で2場所連続技能賞に輝いた。

 平成6(1994)年1月場所には新小結に昇進し、初日に横綱・曙と対戦。3連覇中と圧倒的な強さを見せている横綱に果敢に挑み、押し込まれて土俵を飛び出しながらしぶとく左から突き落として這わせた。惜しくも物言いの末に同体取り直しとなって敗れたものの、大健闘。この場所は4勝11敗に終わりながら、鮮烈な印象を残した。

 その後はしばらく幕内を維持して奮戦したあと、平成7(1995)年5月場所で右ヒジをケガしたのが響いて十両に陥落し、さらに首もケガする不運に見舞われた。それでも懸命に土俵を務め、幕内復帰はならなかったものの十両の座は守り続け、幕下陥落が決定的となった平成13(2001)年9月場所を最後に、37歳で土俵を去った。

 同じ小兵の舞の海が、俊敏に動き回って相手を翻弄する相撲だったのに比べ、智乃花は右四つで相手の懐に入っての寄り、下手投げを主体とした正攻法の相撲。違う持ち味をもったふたりの「小よく大を制す」相撲は、平成初期の土俵を大いに盛り上げた。

 また、智ノ花自身は成功したものの、家庭を持った社会人が、スタート時は無給となる大相撲の世界に飛び込むのはリスクが大きいなどの理由から、智乃花の入門を機に新弟子の年齢制限が設けられ、今では27歳での入門は認められなくなったが、大学卒業後、町役場勤務を経て23歳で入門した一山本のような例はあり、その先駆となっている。

 引退後は年寄浅香山を経て年寄玉垣を襲名。現在は大島部屋付の親方として後進を指導するかたわら、長く審判を務めている。また、令和6(2024)年3月場所、同じ伊勢ケ濱一門の宮城野部屋で暴行問題があり、元横綱・白鵬の宮城野親方が処分を受けた際には、一時、同部屋の「師匠代行」を務めて話題になった。

【Profile】智乃花伸哉(とものはな・しんや)/昭和39(1964)年6月23日生まれ、熊本県八代市出身/本名:成松伸哉/所属:立浪部屋/しこ名履歴:成松→智ノ花→智乃花/初土俵:平成4(1992)年3月場所/引退場所:平成13(2001)年11月場所/最高位:小結

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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