2024年ガールズケイリン優秀新人賞の熊谷芽緯「もう我慢できない」と狙う先行逃げ切りがもたらしたもの (2ページ目)
終始笑顔を絶やさない熊谷 photo by Gunki Hiroshiこの記事に関連する写真を見る
【恵まれた環境で練習した高校時代】
自然豊かな岩手で育った熊谷は、中学から姉の影響でソフトボールを始める。
「本当は右利きなんですが、『あなたは左です!』と言われて、左投げのピッチャーをやっていました。言うことは聞こうかなと思ったし、がんばったらできるかなと思いました」
右打ちのバッターが左打ちに転向することはよくあるが、右投げを左投げに変えるのは、感覚的にかなり違和感がある。熊谷もそれを感じていたが、先生の言うことを素直に聞き入れ、懸命に練習に励んだ。
半ば強制的な左投げだったにも関わらず、「結構いい球は投げていたと思います。ソフトボールで高校への推薦の話もあって、そこの先生から『ぜひ(来て)』と言われていましたから」と言う。恐るべきポテンシャルの高さだ。
ソフトボールで自信を深め、高校でも続けようと考えていたが、中学3年の夏に開催された「ガールズサマーキャンプ」(現トラックサイクリングキャンプ)に参加したことで、自転車競技への興味が膨らんでいった。
「ソフトボールをやろうと思っていましたが、新しい競技もいいなと思ったので、紫波総合高校の自転車競技部に入りました。その高校は家からすごく近くて、練習の環境が整っていたのもよかったです」
同高校は現在男子のナショナルチームに所属している中野慎詞(岩手・121期/2024年国際賞受賞)の母校で、自転車競技の名門校だ。近隣に紫波自転車競技場もあり、競技に集中できる環境が整っていた。もちろん、熊谷は始めたばかりだったため、最初から順調だったわけではない。
「練習は男子とやることがあって、なかなかついていけなくて、どうしようと思ったことが多かったです。だから、部活が終わってから、家で筋トレもやっていました。高校1年のときは結果を出せなかったんですけど、結構がんばっていたと思います」
その甲斐があって、高校2年で早くも結果を出す。全日本自転車競技選手権大会トラックレース(ジュニア)ケイリンで3位の成績を残した。さらに3年時も同大会のスプリントで3位となった。
ガールズケイリンの選手になる夢は自転車競技を始めた当初から持っており、高校3年時には日本競輪選手養成所の試験を受けた。ただ、不安は大きかった。
「競技のほうは大丈夫だろうと思っていましたが、勉強のほうは自信がなかったので、とにかく作文と面接で自分を売ろうと。だから面接で『早く養成所に行きたいです!』と言いました。そうしたら面接官の方々が『おー!』とのけぞっている感じで。だいぶ引いていたと思います」
握りこぶしとともに『早く養成所に行きたいです』と威勢よく語る姿は、確かに面接には似つかわしくないほどのアピール。その意気込みが通じたのか、それとも成績がよかったのか、無事に入所することができた。
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