【平成の名力士列伝:豪栄道】"万年三役"から大関への昇進、8度のカド番と難局を乗り越え続けた底知れぬ「大和魂」 (2ページ目)
【我慢の末につかんだ大関としての全勝優勝】
我慢強い男にもやがて好機が訪れる。4度目のカド番となった平成28(2016)年9月場所は、横綱・日馬富士との三番稽古(同じ相手と何番も取る稽古)で伯仲する内容を展開するなど、手ごたえを感じていた。場所に入ってからも好調ぶりは変わらず「体もイメージどおりに動くし、(カド番の)プレッシャーもそんなになく、気持ち的にも楽にいけた」と、あれよあれよという間に15個の白星が積み重なった。
「大関になってから情けない成績が続いて、応援してくれる人にいい思いをさせてあげられなかった。優勝したことで皆さんが自分のことのように喜んでくれて、それが一番よかった」
初優勝を全勝で飾ったものの、綱取りの翌場所は9勝どまり。その後は右足首の靭帯損傷で再び低迷。1年後の平成29(2017)年9月場所は11日目の時点で後続に2差をつけて単独トップに立ち、横綱・日馬富士とは星の差3つの開きがあったが、終盤は大失速して賜盃は優勝決定戦の末、大逆転で日馬富士にさらわれた。
慢性化していた右足首痛を庇う相撲は、やがて反対の左足にも負担をかけることになる。立ち合いは左足から踏み込む、満身創痍の大関にとっては致命傷とも言えたが、どんなに苦境に立たされても弱気な言葉は決して吐かないのが、この男の真骨頂だ。
「土俵に立つということは、自分のその時の最高の状態でやっているということ」
平成30(2018)年9月場所は12勝の好成績。前場所は10勝を挙げており、三役以上での2場所連続2ケタ勝ち星は、32歳のこのときが初めてだった。
9度目のカド番で迎えた令和2(2020)年1月場所は5勝10敗。大関在位33場所でついにその座を明け渡すことになり「自分のなかではやりきった。大関から落ちたら引退しようと決めていた」と初志を貫徹して引退を表明した。
地元大阪の翌3月場所、関脇で10勝以上をマークして再昇進を目指す選択肢もあったが、「自分で決めたことなので、ここで続けることによって、この先の人生でまたそんなことがあったら自分に甘えが出る。気力のない相撲を皆さんの前で取るわけにはいかない」とキッパリ。師匠の境川親方(元小結・両国)は「誰よりも男のど根性を持っていたし、"やせ我慢の美学"を大事にしてきた男だった」と愛弟子を称えた。
「追い込んでやってきたからこそ、ここまでやってこれた。その気持ちがなかったら、何年か前に引退していたかもしれない」と窮地に陥れば陥るほど、底知れぬ精神力を発揮して幾度の難局を乗り切ってきた15年の現役生活だった。最後は潔い引き際を見せ、「大和魂」を貫き通して土俵を去った。
【Profile】豪栄道豪太郎(ごうえいどう・ごうたろう)/昭和61(1986)年4月6日生まれ、大阪府寝屋川市出身/本名:澤井豪太郎/しこ名履歴:澤井→豪栄道/所属:境川部屋/初土俵:平成17(2005)年1月場所/引退場所:令和2 (2020)年1月場所/最高位:大関
著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。
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