ガールズケイリン當銘直美が学んだプロの自覚と覚醒の理由 規則違反での停学&復学も涙ながらに語った (2ページ目)

  • text by Sportiva

 高校から意気揚々と自転車競技部に所属するも、街道練習がメインで、練習メニューも部員たちが中心になって考えていたこともあり、思うようにタイムを伸ばすことができなかった。その結果、3年時に受けた日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)への入学試験は不合格だった。

「明らかに準備不足でした。全国大会でよく顔を合わせていた同学年の選手たちが試験に受かっていて、うらやましかったし、悔しかったです」

 高校卒業後は、選手の発掘・育成を目指す『T-GUP(豊橋競輪ガールズケイリン育成プロジェクト)』に参加。ここで「バンクでの自転車の乗り方や走り方をイチから教えてもらった」という。毎日1時間半かけて豊橋競輪場まで通い、朝から晩まで練習に励んだ。そんな生活を約半年間続けた結果、見事112期生として合格することができた。

 中学の時から夢を持ち続け、一浪しての念願の入学。志もさぞ高かっただろうと想像するが、入学から数カ月経った秋頃、競輪学校での禁止事項に抵触し停学処分を受けてしまう。軽率な行為だった。

「すごく落ち込みました。プロになる自覚が足りていませんでした。停学ですので復学のチャンスは残されていましたが、もう学校側は受け入れてくれないと思いましたし、家族や周囲から『辞めなさい』と言われる覚悟で家に帰りました」

 スポーツであれば、ルールを守って戦うのは当然のこと。ましてや開催中に外部との連絡に厳格な競輪はなおさらだ。自らの過ちによって夢の道を閉ざしてしまった當銘。後悔の念が繰り返し襲ってきた。

 そんな時、近所に住む競輪選手の新田康仁(静岡・74期)が家を訪ねて来てくれ、復学に向けて励ましの言葉をくれた。周囲も再チャレンジを当然のことのように捉えていた。そんな温かい言葉や態度から、「もう一回頑張ってみよう」という気持ちが芽生えてきた。

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