大橋悠衣が2冠を達成した東京オリンピックの舞台裏 日本女子として史上初の快挙に「実感がない」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【ラストの自由形スパートで200mも制す】

 大橋がもうひとつの金メダルを獲得した200m個人メドレー決勝では、平井コーチが「4個メの時とは顔が違っていた。『やるべきことはやる!』と決意した顔で頼もしいと思った」と話すように、大橋の表情は明るく自信に満ちていた。

 26日の予選は10位通過、27日の準決勝は5位通過と不安視される部分もあったが、それは予定どおりだった。

「北島康介(五輪男子平泳ぎ2冠2連覇)の場合は、最初からいい泳ぎをしてレース全体を支配させたが、悠依は予選から頑張ると疲れてしまう。ただ、何位で通過でも平然としているし、本当にしたたかさがあるんです」と平井コーチは言う。

実際、大橋本人も1位に0秒58差の2分09秒79だった準決勝のあとは、「最後の自由形はまだ0秒6は上げられると思う」と余裕を持っていた。決勝の2レーンも「最後の自由形は左呼吸なので、相手を見ずに泳ぎに集中できる」と、すべてをプラスにとらえていた。

 平井コーチは予選と準決勝の全体の泳ぎを見て、「(ライバルの)アメリカのふたりは自由形が強くないと思った。150mでは並ぶだろうが、そこまでで1分37秒7から38秒0は必要。そこからどう泳ぐかをふたりで確認」して、2分08秒5なら勝てるのではないかと予想した。

 決勝はその予想どおりの展開になった。最初のバタフライは5位だった大橋は、背泳ぎで2位に上がると150mは1分37秒77で、隣のレーンのアレックス・ウォルシュ(アメリカ)に0秒02遅れ。最後の自由形は全選手最速の30秒75で泳ぎ、2分08秒52で優勝を決めた。

「まさか私が、と思っていてまだ実感がない。すごく心配性で、毎回相手の選手がどういう泳ぎをするか調べて挑むけど、それが生きたレースだったと思います」

 自国開催のビッグイベント。結果を出したいと思う選手はほかの大会より重圧を感じる。周囲の期待だけではなく、自分自身への期待もプレッシャ-を増幅させる。その時間が1年間伸びたことで、メダルを狙う位置にいる選手たちの精神面の疲労は、より大きくなっていたはずだ。

 だが、大橋は自身の不調でそんなことを考える余裕もなくなっていた。そして大会入りした競技初日の泳ぎで感覚を取り戻し、世界選手権メダリストとしての自信を蘇らせることができた。そんな幸運のすべてを自分に引き寄せた大橋の、鮮やかな2冠獲得だった。

プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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