大橋悠衣が2冠を達成した東京オリンピックの舞台裏 日本女子として史上初の快挙に「実感がない」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【平井コーチが送ったアドバイスの意図】

 その感覚のよさを、初日の400m予選で確認できた。最初のバタフライは100m通過は3位。泳ぎ自体は課題だった「引っかかり」のないスムーズなもので、次の背泳ぎで少し抜け出すと平泳ぎで2位に3秒5以上の差をつけた。そして自由形はリラックスした流し気味の泳ぎにして、ラストは0秒27差まで追い上げられたものの、4分35秒71と全体3位の記録で決勝進出を果たした。

 記録自体は日本選手権やジャパンオープンと変わらない4分35秒台だが、平井コーチが「流して35秒台というのはこれまでなかったので、よかったと思う」と話したように、全体的に余裕があり、力みもなかった。

「平井先生からは300mまでしっかりいき、最後の100mは周りを見て余裕を持っていけと言われていた」と話す大橋は、決勝へ向けては「300mまでは今日と同じくらいのペースになると思うので、最後の自由形で頑張って2~3秒上げられれば」と、金メダルを意識できたという。

 東京五輪は2008年北京五輪と同様に、予選は夜、準決勝・決勝は翌日の午前に組まれる変則日程。条件はみな同じとはいえ、予選から一夜明けた午前中にメダルのかかるレースをする難しさもあった。ライバルは予選4分33秒55で、1位通過のエマ・ワイアント(アメリカ)で、最後の自由形が強い選手。平井コーチはその日の最初のレースだった男子400m個人メドレーでの優勝タイムが4分09秒42と平凡だったのを見て、大橋に作戦を授けた。

「リオで萩野公介(男子400m個人メドレー優勝)が、自由形が強いチェイス・カリッシュ(アメリカ)や瀬戸大也に勝つために考えた作戦と同じでした。前半は落ち着いて入らせて、平泳ぎから最後の自由形に入った時に、最初の50mでは差を縮められないようにさせたのです。300mから350mでグッと追い詰められて最後のターンをするのと、なんとか距離を保っていくのとでは追われる側も追う側も気持ちが違う。萩野はそこでわずかしか差を詰められなかった。『最後に体力を残すといっても、そうそう残っているものではない』ということを、大橋にはリオのあとからよく話していました。その点では本当に冷静に、力を出せたなと思います」

 平井コーチの指示どおり、大橋は「前半は予選より落ちてもいいから落ち着いていこうと思った」という泳ぎで、200mまでは予選よりは少し遅いラップタイム。そして平泳ぎを伸びのある泳ぎで予選より2秒ほどタイムを上げ、2位になったウェアイントとの差を1秒99に広げると、ポイントとしていた300~350mは逆に0秒07広げる攻めの泳ぎをした。最後は0秒68差まで詰められたが、作戦どおり逃げ切って金メダルを手にした。

「アップの時はすごく緊張していたけど、平井先生に『順位もタイムも気にしなくていい。自分のできることを全部やれば大丈夫だよ』と言ってもらえたので、自分のペースを守って自分のレースをすることだけを考えて入場できました。自分はポジティブじゃないし、自分が金メダルを獲るなんて思っていなかったので、うれしい気持ちと不思議な気持ちでいっぱい。

 ダメダメな時期もあり、暗くなってひとりでいる時期もあったけど、周りの人たちも声をかけ続けてくれたので、みんなのおかげで獲れたメダルだなって正直、思います。昨日レースが始まってからは『もう、あとはやるしかない』と思えた。自分でもこんなに落ち着いたレースができたということに、すごくびっくりしています」

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