清水宏保、ソルトレークシティ五輪銀メダルの壮絶な裏側。まともに「ズボンも履けない」腰痛を抱えていた (3ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

「心から笑えると言ったらそうではないですね。満足できる体調でやりたかった」

 そして、その日の夜のメダルセレモニーが終わったあとに清水はこう話していた。

「何度も今シーズンはダメだなと思ったこともあったけれど、それでもあきらめずにここまでもってこられた。途中で自分を投げ出さなかったことはすごく評価できるところだと思います。痛めた当初は1カ月くらい休めばどうにかなる状態でした。でも、そのあとで再発して......。五輪イヤーということでかなり無理をしたトレーニング計画でずっとやってきたし、選考会もあったのでちょっと無理をしなくてはいけない状態だった。だからケガをしてからは自分を保っていかなければいけないとすごく緊張していました。金メダルを獲らなきゃいけない、獲りたいという気持ちもあったし、応援してくれている人たちの期待にも応えたいというのもあったし。頑張りたかったというのはすごくありました」

 朝起きた時も、練習の時も、ため息の連続だったという。痛みで体もまともに動かせないなかで、何度も「もうダメだ」と思った。

「正直、精神的に保つのがやっとだったので、銀メダルが決まった時はホッとしたというか、すごく気が抜けましたね。銀メダルが獲れたことに対してホッとしたのではなくて、とりあえず無事に自分をここまでもってこられて、無事に滑り終えたことに対して。腰がまた再起不能になるくらいに壊れなくて、すごくホッとしました」

 満身創痍のなかで「もしかしたら金メダルだったかもしれない」と思わせる銀メダル獲得。清水にとっても、見ている側からしても、長野五輪の金メダル以上に価値のあるものだったと思える。彼がアスリートとしての思いの強さを見せた、ベストレースだった。

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