野口啓代、引退まで5年間の軌跡。覚悟の決まった選手ほど強いものはない (2ページ目)

  • 津金壱郎●取材・文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by JMPA

 そう不安を抱えていた野口は、大きく変化することを決意する。2017年に東京五輪の種目がスピード、ボルダリング、リードの3種目複合に決まったことも後押しとなって、フィジカルトレーナーのもとで肉体強化に取り組み始めた。

 その決意を訊いたのが、2017年のインタビュー取材だった。その終わり際の雑談のなかで、野口は「東京五輪を最後に競技からの引退を決めているんですよ」と笑顔であっさり告白した。

 あまりのラフさと、その時点から3年後までの間に野口の気が変わることもあるだろうと考えて、記事には使わなかった。書き手としては"美味しいコメント"を見逃すことになるが、その言葉を載せることで将来的な彼女の選択肢を狭めるのを避けたかった。なぜなら、観戦者としての自分が野口のいない競技シーンを想像したくない思いもあったからだ。

 2018年シーズンの野口はフィジカルトレーニングの成果もあって、W杯ボルダリングで3勝をマーク。強い野口の姿が戻ってきたことで、すっかり"東京五輪で引退発言"のことは忘れていた。

 それが再び提示されたのが、2019年の世界選手権だった。東京五輪代表権のかかる大一番に詰めかけた多くの報道陣を前にして、自分自身にプレッシャーをかけるかのように公言した。

 覚悟の決まった選手ほど強いものはない。動じることなく、研ぎ澄まされた集中力を発揮する。追い込まれても粘り強さで課題に食らいついて、なんとかしてしまう。そんなシーンを、野口は世界選手権でも、そして今回の東京五輪でも見せた。

「ボルダリング、リード、スピードの全部の種目でしっかりトレーニングして努力してきました。これまで積み上げてきたことへの自信がありました」

 これは世界選手権で五輪代表を勝ち取った時のコメントだが、野口のスタンスは東京五輪に向けた日々でも同じだった。練習量に裏打ちされた自信を手にできるように自らを追い込む。それはコロナ禍で東京五輪が1年延期になっても、「残念ですが、今の自分にできることをしっかりやるだけです」と変わることはなかった。

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