2020.10.12

ドーピング問題で欠場選手も出たリオ五輪。三宅宏実の銅メダルの価値

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

「正直、私の夏はもう終わったなと思いました。3本目を取れなかったらこれまでだったと思うしかないと考えていた。でも、最後は無心でトライをして取ることができた......。あれは本当に奇跡ですね。挙げた瞬間にぐらぐらっとしたのを抑えて、クリーン&ジャークにつなげられた。不思議な3本目だったけど、きっとみんなが手伝ってくれたんだろうな、という気がしました」

 父の義行は1968年メキシコシティ五輪の銅メダリストで、伯父(おじ)の義信は64年東京五輪とメキシコ五輪を連覇と、重量挙げ一家に育った三宅。リオが自身4回目の五輪だった。出場2回目の2008年北京五輪は、2年前の世界選手権で3位になり、メダルを視野に入れて出場した。だが、試合当日になって体重が予想より減ったことに動揺し、力を出し切れず6位にとどまった。

 その後、11年全日本選手権は1階級上の53㎏級に出場し、トータル207㎏の日本記録を出す。そして、底力を付けて臨んだ12年ロンドン五輪では、スナッチ87㎏、クリーン&ジャーク110㎏でトータル197㎏の日本記録で銀メダルを獲得した。

「北京の頃はケガで練習ができなくて、いいときと悪いときの波が激しかったから、メダルラインの重量に届く結果を出せませんでした。それからの4年間はプレッシャーもあったけど、同じ失敗は繰り返さないという思いで体重を増やして試合をしながら、体の土台作りに励んできました。200㎏以上を挙げてから減量して48㎏級で勝負するという計画でしたが、ロンドンでは北京のときより力がついている手ごたえがあった。12年間かかって遅咲きかもしれないけど、家族と一緒にやってきて、父の銅メダルより順位をひとつ上げられたことがうれしいです」

 ロンドン大会後にこう話した三宅だが、「以前は銅メダルが獲れたらいいと思っていたけれど、いろんな人に『金メダル、金メダル』と言われているうちに、自分でもここまで来たのだから金を獲りたいと思うようになりました」とも口にした。だからこそ戦いを諦めず、30歳で臨む次の五輪を目指したのだ。