2020.03.05

フェンシング太田雄貴、北京五輪銀メダルの裏にあった「背水の陣」

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 年が明けてからは「ディフェンスができていなかったのは、それをやるだけの体力がなかったからだ」と自己分析もできた。ポイントレースで海外遠征が続いたため、基礎体力が落ちていたのだ。

 そこで太田は異例ではあったが、剣を一度も握らず、フィジカルトレーニングに集中する期間を3週間つくることにした。五輪直前に剣を握らないことへの不安はあったが、その決断で7月には体力も戻り、「これで五輪を戦える」という手応えをつかむことができた。とはいえ、まだメダルが見えたわけではなかった。

「大会前からメダルを狙うと公言してきたけれど、正直なところ確率は5%あればいいと思っていました。アスリートとして、強がりと純粋な気持ちが五分五分でした。大会の組み合わせが決まった時は、それがさらに2~3%まで下がったような気すらしました」

 北京五輪の2回戦から先は、世界ランキング10位の太田にとってすべて格上の選手だった。2回戦の崔秉哲(韓国)は、5月の高円宮杯で負けた相手。準々決勝のペーター・ヨピッヒ(ドイツ)は世界ランキング1位で、過去の対戦成績は5戦5敗の強敵だった。

 8月13日の試合で、太田が最大の山場と考えていたのは2回戦だった。高円宮杯では11-11まで競り合いながら、そこから崔に4ポイントを連取される惨めな負け方で、苦手意識が生まれていたからだ。