旭天鵬には謎だった日本で角界入り「サムライや忍者がいると思った」 (2ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 モンゴルの首都・ウランバートル近郊のナライハで生まれた僕は、4人兄弟の長男として、ごく普通の少年時代を送っていました。父親は役所や警察、銀行で経理関係の仕事をしていて、モンゴル相撲とは無縁。だから、僕もモンゴル相撲の経験はなかったんですよ。

 中学時代は、バスケットボール部。NBAに憧れていて、「カッコいいシューズが履きたい」と思っていました。だけど、(中学生には)高くて買えないでしょ。ウチは兄弟が多かったから、(親に)ねだるわけにもいかない。「欲しいものがあったら、自分で稼ぎなさい」という方針だったので、学校が夏休みの3カ月間は、建設関連や工場で力仕事のアルバイトをして、お金を貯めました。そのお金で、シューズや自転車を買ったものです。

 そんな中学時代を送っていた1989~1990年に起こったのが、モンゴルの民主化です。当時の僕は、政治のことは詳しくわかっていなかったけれど、街で暴動が起きて、それまでの政府が崩壊したことは理解していました。

「これからは、日本やアメリカに行けるようになるんだよ」

 中学の先生にはそう教わりました。それまで、モンゴル人はソ連(現ロシア)か、中国にしか行けなかったんです。

 民主化によって、いろいろなことが変わりました。一番困ったのは、お店から品物がなくなってしまったこと。それまでは、社会主義の制度で国が守られていたけれど、民主主義国になったことで、外国からの物資の輸入ルートが閉ざされてしまったのだと聞きました。

 そうした一方、テレビのチャンネル数が増えたり、放送時間が長くなったりしたのはうれしかったなぁ。国営放送だけの頃は、番組が放送されるのは夕方5時から夜12時までだったのですが、民放のテレビ局もできて、昼間も放送するようになったんです。

 さて、中学を卒業した僕は、お金をもらいながら専門知識を身に着けられる工業系の専門学校に進みました。

 その頃のことです。テレビや新聞で、「キミも日本で相撲の力士になってみないか?」という広告が流れたのは......。

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