2019.05.04

2002年の冬季五輪、清水宏保の銀メダルは
金メダル以上の価値があった

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama
  • Toshimi photo by AFP/AFLO

 それでもレースは堂々たるものだった。2月12日の1本目は100mを9秒51で通過して五輪新記録の34秒61で滑り切り、ケガの状況を知らずに見ている側は「強い清水宏保が戻ってきた」と感じた。

 次の組で滑ったフィッツランドルフが34秒42を出して1位を奪われたが、清水と共に優勝候補に挙げられていたウォザースプーンは、最終組でスタート直後にスケートの先をひっかけて転倒。予期せぬアクシデントで最大のライバルが離脱し、それまでの実績で清水に劣るフィッツランドルフを2本目で上回ることは難しくないと思われた。

 翌13日の2本目。第1組のウォザースプーンが34秒63で滑って意地を見せると、第17組アウトレーンスタートの清水も、シーズン最高の9秒47で100mを通過する。だが、最後のカーブで少しバランスを崩し、最後の直線の出口では外に膨らんで1本目よりタイムを落とす34秒65でフィニッシュした。

 暫定1位となり、残すは最終組の2人のみだったためメダルは確定。それが何色になるかの運命を握っていたフィッツランドルフは、第2カーブで少しバランスを崩して手をつきながらも34秒81で滑り、2本の合計を1分9秒23にした。清水の合計タイムはそれに0秒03及ばず、メダルの色は銀になった。

「長野五輪からここまで、世界記録を出すことと五輪チャンピオンになるのが目標というか、やるべきことだと思っていた。結果は出なかったけど、やるべきことはやれたと思う」

 こう振り返った清水だが、フィッツランドルフとの勝負には"疑惑"もあった。

 フィッツランドルフの1本目のスタートはフライングのような飛び出しになり、100m通過は清水より速い9秒44。彼は後半のラップタイムで勝負するタイプの選手で、2本目の9秒70や、彼の他のレースと比べても明らかに速かった。それがフライングとなって再スタートになっていれば、清水は五輪連覇を達成していただろう。

 清水は「心から笑えると言ったらそうではないですね」とコメントしたが、それは「満足できる体調でやりたかった」という自身の状態についての言葉だった。その日の夜、メダルセレモニーが終わった後には次のように話した。