金メダル獲得の原動力。スピードスケート小平奈緒の一番の武器とは (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Pro Shots/AFLO

「海外で経験を積みたい」と、小平は大学3年頃から口にし始めていた。しかし、その時期はW杯でもAディビジョンとBディビジョンの間にいる状態だったため、結城は「もう少し上のレベルで戦えるようになってからでいいのでは」と、小平に話したという。

 その後、小平は2010年バンクーバー五輪前年にAディビジョンに定着。小平はトリノ五輪の1500m優勝を含めた個人種目とチームパシュートで5個のメダルを獲得したシンディ・クラッセン(カナダ)と一緒に練習したいと希望するようになった。

 結城もそれに賛同し、「世界オールラウンド選手権で2勝していて種目は違う選手だけど、いい経験になると思った」と交渉したが、クラッセン本人はOKでも、練習をしているカナダのナショナルチームの許可が出ず、断念せざるを得なかった。

「ソチ五輪のシーズンは、W杯前半戦から本格的にどこがいいかを物色し、マリアンヌ・ティメル(オランダ・98年長野五輪の1000mと1500m優勝。06年トリノ五輪1000m優勝)が指導するプロチームは、女子のトップ選手もいるのでいいんじゃないかいう話になりました」

 このチームにはマーゴット・ブア(オランダ・ソチ五輪500m、1000m3位)もいて、小平が行くことを決めた後に、ソチ五輪で5個のメダルを獲ったイレイン・ブスト(オランダ)も入ることになった。

 オランダ1年目、小平はW杯初勝利を挙げ、500m総合でも優勝した。だが本人は、これまでずっと更新し続けてきた自己ベストを出せず、納得できなかったという。結城も「滑りが全然ダメになった」と見ていた。

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る