五輪新種目ボルダリング。10代中心の中、「30代」が挑み続ける理由 (4ページ目)

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro  佐野美樹●写真 photo by Sano Miki

「肉体的な衰えも感じ始めているので、いまのうちに岩場で(最難関のグレード)5.15Aの課題を数多く触りたい気持ちもある。仕事もあるし、家庭もあるし、小学生の子もいる。東京や大阪の大きなジムに遠征して、最新のホールドを触ったり、トレーニングしたりするのは難しい。だけど、そうした状況のなかで、いまの自分がどんな成績を残せるのかを見たい気持ちですね。以前のように目標を設けてというより、目の前の一戦だけ。まずは3月のリードの日本選手権。その先はそのときですかね」
 
 川端や中野をはじめ、トップクライマーの多くが10代でクライミングを始めるなか、加島は20代半ばでボルダリングと出会い、人生が一変した選手だ。鍼灸師の仕事をすぐに辞め、クライミングジムに転職して没頭。スノーボードのハーフパイプをしていた運動能力の高さと相まって、瞬く間に実力を伸ばした。BJCは初出場した2012年が17位。その後は10位、4位、5位、昨年は2位となった。
 
 今大会は初日の予選こそ全体3位で通過し、昨年後半からの指の故障を感じさせないパフォーマンスを見せたものの、準決勝では持ち味を出せずに終わった。

「すごくいい刺激を受けましたよ。森秋彩ちゃんは去年からの1年で、これほど成長したのかあと思うと、私もまだまだ成長したいって意欲が沸きました。年齢はだいぶ違うんですけど、登っている年数なら大差はないので」と、中学生の躍進に驚きながらも、さらなる自らの可能性の追求に意欲を見せている。

 加島は過去3年続けてBJCで上位成績を残し、日本B代表に名を連ねてきたが、W杯の出場は2014年W杯中国・重慶大会と、2016年W杯埼玉・加須大会しかない。昨年のW杯は初めて準決勝に進むなど、場数を踏めば好成績を残す可能性を秘めているものの、遠征費や仕事の問題が立ちはだかる。加島にとってBJCの成績が、世界での戦いに一直線に続いていないと知りながらも出場を続けるのは、なぜなのか。

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