【今日は何の日?】初代・貴ノ花、引退
実の兄である二子山親方(写真中央)と一緒に引退会見を行なった貴ノ花。【1981年1月17日】
大関在位50場所で土俵を去った「角界のプリンス」
力士としては細身の体型ながら、正攻法の相撲と甘いマスクで「角界のプリンス」と呼ばれ、絶大な人気を誇った貴ノ花。1968年11月場所で史上最年少(当時)の18歳8カ月で新入幕を果たすと、4年後の11月場所には大関昇進を果たした。
その後、ライバル輪島をはじめ、高見山や北の湖らと数々の名勝負を繰り広げ、相撲人気を支えた。特に1975年3月場所で初優勝を飾った際には、会場中に座布団が舞い上がって、多くのファンが熱狂。テレビ中継は、50.6%の高視聴率を記録した。
しかし、同年9月場所で2度目の優勝を果たしたのをピークに、以来優勝することなく、期待された綱取りも実現することはなかった。そして、当時では最多の大関在位50場所目(現在は千代大海と魁皇の65場所が歴代1位)となった1981年1月場所、6日目の蔵玉錦に敗れて土俵から去ることを決意。翌朝、引退を表明した。貴ノ花は会見で「人気は負担だった」と語ったが、のちにふたりの息子たち(長男・若乃花勝と次男・貴乃花光司)も相撲界で躍動し、空前の「若貴ブーム」の張本人となった。