羽生の度胸、真央の涙。主将・鈴木明子が見た日本チーム (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro 笹井孝祐●撮影 photo by Sasai Kosuke

──以前は、「引退する日が怖い」と思ったこともあるそうですね。

鈴木 はい。引退=終わり、と感じる部分もありました。でも、引退の日が近づくにつれ、「終わり」よりも「はじまり」だと思うようになったのです。たしかに、競技生活からは引退しますが、スケート自体をやめるわけではありません。だから、「これで最後だ」という感傷的な気分はありませんでした。これからはプロのスケーターとして滑り続けます。

 もともとアイスショーが好きなんです。ルールにとらわれることなく滑ることができて、表現は無限に広がります。次のステージで自分のスケートができるので、楽しみです。

──これまでフィギュアスケート界を支えてきた鈴木さんの引退で、今後の日本は大丈夫かという声もありますが?

鈴木 私が引退しても、大丈夫だと思います。高いレベルでがんばっている若手は大勢いるし、私たちを越えて世界と戦える選手が育ってきていますから。ただ、世界のレベルがどんどん上がっているので、それに対抗するのは大変です。技の難度がますます高くなっているので、けがには気をつけてほしいですね。

 私は、今回のオリンピックを通して改めて感じたことがあります。ジャンプの難度やスピンも大事なのですが、根本的なスケーティングの美しさを追求してほしい。あと、選手ひとりひとりがもっと個性を出してほしい。

 今後、ルールがどう変わるかはわかりませんが、たとえどんなルールになっても、スケーティングの美しさと個性は大事です。みんなと同じジャンプを跳んで、同じようなスピンをするだけではなく、そこに個性を乗せてほしい。

 たとえば、イタリアのコストナー選手のスケートはのびやかで、みんなのお手本です。これこそがフィギュアスケートだなと思います。そういう部分を大切にしてほしい。彼女のスケートは長く滑ることで熟成されてきました。そういう意味でも、若い選手にはできるだけ息の長い選手生活を送ってほしいですね。勢いのある若い選手も、いつかは壁にぶつかることがあるでしょう。それを乗り越えたときにスケートが変わるはずです。
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プロフィール
鈴木 明子 Akiko Suzuki
愛知県豊橋市出身。1985年3月28日生まれ。161cm。東北福祉大学卒業。
6歳からスケートをはじめ、15歳で全日本選手権4位となり注目を集める。
10代後半は体調を崩し、大会に出られない時期もあったが、2004年に見事復帰。
2009-2010グランプリシリーズ(中国)初優勝で世界のトップ選手の仲間入りを果たす。同年グランプリファイナルでは3位、全日本選手権では2位となり、念願のバンクーバー五輪代表に。2012世界選手権では銅メダル。27歳での世界選手権メダル獲得は日本最年長となった。ソチ五輪代表選考を兼ねた2013-2014全日本選手権では、会心の演技で13回目にして初優勝、2度目のオリンピック切符をつかむ。そして臨んだ2014年のソチ五輪。初めて正式種目となった団体に日本のキャプテンとして出場(5位)。個人戦では、オリンピック2大会連続の8位入賞を果たした。3月の世界選手権を最後に現役引退。4月に初の著書『ひとつひとつ。少しずつ。』(KADOKAWA/中経出版)を出版。
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