あれから4年。浅田真央と鈴木明子、ふたりの五輪物語 (3ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha
  • 中村博之●写真 photo by Nakamura Hiroyuki

 ソチ五輪まで残された時間はあと1ヵ月半。果たして得意のトリプルアクセルの成功率をどこまで高め、かつ加点のもらえるジャンプに仕上げられるのか。浅田が「練習していくしかない」と話すように、時間との勝負の中で密度の濃い練習をするしかない。前回のバンクーバーでは、大技を決めても他のジャンプでミスを出し、キム・ヨナに敗れての銀メダルだった。スケーティング技術が向上した今回は、トリプルアクセルを含めたすべてのジャンプを成功させ、「パーフェクトな最高の演技」ができれば勝負は浅田に軍配が上がるはずだ。

「日本代表として出るからには一番いい色のメダルを持って帰りたいという気持ちはありますけど、金メダルを目指したバンクーバーのときは自分のミスで銀メダルになってしまった。前回大会での自分の失敗がすごく悔しかったのでソチ五輪ではメダルの色も大切だとは思いますけど、まずは自分の目指している最高の演技をパーフェクトに滑ることを目標に頑張りたい」

 ステップやスピンに磨きをかけてきた浅田の勝負のカギは、とにもかくにもトリプルアクセルが握っている。

 その浅田に15.68点差をつけて全日本選手権を制したのは、28歳のベテラン鈴木明子だった。常にスポットライトを浴びてきた浅田に対して、鈴木は影のような存在だった。現役最後のシーズンと決めて臨むオリンピックシーズンを戦っている彼女が、SP2位から逆転して遅咲きの全日本女王の座に就いた。最後の全日本ですべてを出し切ってみせた。非公認記録だが、フリーでは自己ベストを上回る144.99点をマークして合計215.18点と初の200点超えをした演技に氷上で何度もガッツポーズを見せて喜びを爆発させた。

 スケートを始めてから22年間、挫折と重圧による摂食障害など様々な経験をした。一時は競技から離れて治療に専念、リンクに復帰した後は、休養中に成長を遂げた“後輩”の安藤美姫や浅田が壁となった。この2人を乗り越えることがなかなかできなかったが、ついに13度目の出場となった全日本で初タイトルに輝いた。

「今日は納得いく演技ができて、ソチ五輪代表の座を勝ち取ることができてうれしい。諦めなくて良かった。バンクーバー五輪(総合8位)の4年前よりも成長した姿を見せられるように、2度目の五輪ではスケート人生の集大成として、心を込めて滑りたい」

 この鈴木の快挙に、12年間、叱咤激励しながら指導してきた長久保裕コーチは、浅田の不調による「棚ぼたの全日本タイトル」だと謙遜したが、フリーのノーミスの演技には、「(1998年の)長野五輪で田村岳斗の完璧な演技を見て泣いて以来」という涙を流して、愛弟子の栄冠を素直に喜んだ。

 浅田真央と鈴木明子。ふたりはソチでどんな演技を見せてくれるだろうか。

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