日本ボクシング世界王者列伝:辰吉丈一郎 果てない勝負への純真を貫き続けた「浪速 のジョー」 (2ページ目)
【17歳。すでに無限の可能性がきらめいていた】
辰吉はデビュー2年、わずか8戦目で世界の頂点に立った photo by AFLO
辰吉の前半生は「成り上がりストーリー」のどまんなかにある。
岡山県の海辺の町に育った。父ひとり子ひとりの少年時代、経済的に厳しい状況にあったが、そのころから腕は立った。負け知らずのケンカ自慢だったという。
「倉敷、岡山の中学生で辰吉の名前を知らない者はいなかった」
辰吉と同年代の岡山の高校生ボクサーが証言していたのを思い出す。そういう少年にとって、ボクサーこそが天職だった。子どものころから、住んでいた団地の砂場でボクシングの練習をする父子の姿もよく目撃されていた。
中学を出ると、大阪に出てジムに入門する。JR京橋駅構内にあった立ち食いそば屋で働きながら、修行を重ねた。
16歳でアマチュア・デビューすると、すぐに話題になった。今のようにSNSがない時代でも、「関西にすごい新人がいるらしい」という話は、東京の私にまで伝わってきた。
うわさの新人を最初に見たのは1987年秋の沖縄だった。当時、都道府県のチーム戦トーナメントだった国民体育大会(現・国民スポーツ大会)、その少年の部で、大阪を3位入賞に導いた戦いだ。東京から沖縄にボクシング留学していた有力選手を左ボディブローで仕留めた。記者席で慄然とした。これで17歳か。何というタイミングで、こんなすごいパンチを打ち込めるんだ----。
直後の社会人選手権で全試合KO・RSC(プロのTKO)勝ちで優勝したのを確認し、月刊『ボクシング・マガジン』は辰吉のインタビュー記事を企画する。大阪帝拳に出向いてきた私を見て、17歳の少年はこう言った。
「なんで僕なんですか? ただのアマチュアですよ」
やがて、辰吉少年は巨大なサンドバッグを叩き始める。すごいと思った。
何がすごいのか。言葉にするのは難しい。あえて言うなら、人を倒すためにもっとも最善なタイミングは、1秒の百分の一、いや千分の一にある。平凡な感覚、肉眼では決して見極めることのできない、そんな一瞬をピタリピタリと探り当てるように、辰吉の拳がバッグにめり込んでいく。またしても感動した。
すっかり呆けて立ちつくす私を横目で見やり、「なんでやねん」。ツンデレにまた惚れた。
それから2年後、プロデビューしてから、辰吉は一気に突っ走る。
戦力はケタ外れだった。すでにカリスマも見えていた。何をやっても絵になった。対戦者を倒したあと、腕をグルグル回すパフォーマンスは、ちょっとした"おいた"でも、この男なら許せた。さらにずば抜けた解釈能力があった。厳しい試合を強いられても、次戦でしっかり矯正し、ステップアップした。わずか8戦目の世界挑戦に対しても、私を含むファンには、もう期待感しかなかった。
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