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【新連載】K-1の熱狂のなかにいた佐竹雅昭 空手家を志したきっかけは「光って見えた」ある一冊の本だった (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

「本を読むと、『指一本で腕立て伏せが50回できたら牛を倒せる』『100m走で10秒を切ったら牛を殺せる』といったことが書いてあって、そういう教えをすべて信じました。そのなかで、『武の道においては千日を初心とし、万日の稽古をもって極みとす』という言葉があって。人間は訓練をしないとダメ、物事はコツコツやらないといけないという教えなんですが、僕も自分の志を極めようとして、中学の3年間は毎日、公園の木を蹴り続けました。さらに、通販で買った鉄下駄を履いて登下校しました。それが歩きづらくて大変でしたよ(笑)」

 大山倍達を信奉し、稽古に没頭した中学時代。卒業が近づいた時に、重大な決意を固める。

「道を極めるには、宮本武蔵も大山先生もやったという山籠もりしかない、と思い立って。中学3年時の進路相談の時、担任の先生に『山籠もりをするんで、高校には行きません』と宣言しました。そうしたら、先生が血相を変えて家に来て、母親に『雅昭くんは、進学しないで山に籠る、なんてバカなことを言っているので止めてください』と。そうしたら親も『アンタ、何をバカなこと言っているの。山に籠ってどうするの?』と聞いてきたので、『俺は牛を殺す人間になる』と答えました。そうしたら親には『もっと体を作って高校に行ったら、空手道場に行かせてあげるから』と説得されました」

 両親、先生の必死の説得で山籠もりを断念し、高校へ進学。そして、大阪市内の空手道場の門を叩くことになった。

(つづく)

【プロフィール】

佐竹雅昭(さたけ・まさあき)

1965年8月17日生まれ、大阪府吹田市出身。中学時代に空手家を志し、高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から全日本空手道選手権を通算4度制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。1993年、格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年に「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。2007年、京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」という人間活動学塾を立ち上げ、各地で講演を行なう。

【写真】K-1ファイターと美容師の「二刀流」。菅原美優フォトギャラリー【10枚】

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