ビューティー・ペアは全女のリングを歌でも盛り上げた 元東スポの柴田惣一が明かす不仲説の真相
(連載7:WWE殿堂入りの「極悪同盟」ブル中野の波乱の人生「いまだ熱心なファンも多い」>>)
1982年に東京スポーツ新聞社(東スポ)に入社後、40年以上にわたってプロレス取材を続けている柴田惣一氏。テレビ朝日のプロレス中継番組『ワールドプロレスリング』では全国のプロレスファンに向けて、取材力を駆使したレスラー情報を発信した。
そんな柴田氏が、選りすぐりのプロレスエピソードを披露。連載の第8回は、クラッシュ・ギャルズ以前にリング上で歌を歌い、大人気となったビューティー・ペア。1976年2月にジャッキー佐藤とマキ上田で結成され、1978年の「日本レコード大賞」で企画賞を受賞。Netflix『極悪女王』にも登場した、世間に女子プロレスを広く認知させたふたりについて柴田氏に聞いた。
ビューティー・ペアで人気を博したジャッキー佐藤(左)とマキ上田 photo by 東京スポーツ/アフロこの記事に関連する写真を見る
【対照的なふたりが大人気に】
――話題のNetflix『極悪女王』では、ジャッキー佐藤さんのことも描かれていましたね。
柴田:1974年にデビューして女子人気を集めたマッハ文朱の後を受けて、1976年2月にマキ上田とビューティー・ペアを結成し、同年11月にデビューシングル『かけめぐる青春』を発売。その頃の会場にはまだ中年男性が多かったし、当初はビューティー・ペアがリング上で歌っていても「ふ~ん」という感じで"トイレタイム"にしているファンもいた。それが、だんだん会場に女子中高生が増えてきて大ブレイク。でも、ペアの定石ですが、ふたりの仲はあんまりよくなかったんですよ。
――そうだったようですね。
柴田:ジャッキーは一日中プロレスのことを考えるような人で、全日本女子プロレスに自ら入門。一匹狼的なところがあり、自ら率先して動くタイプでした。一方でマキは、お父さんに「体がでかいし、プロレスでもやれ」と勧められて、地元・鳥取の農業高校を中退して入団した。自ら「私が、私が」と前に出るタイプじゃなくて、人に合わせる感じだったから性格的に合わなかったんじゃないかな。
マキはいい意味でマイペース、「人の話をあまり聞かない」とも言われてました。練習中に先輩レスラーが技などの手本を見せる時も、あまり見ていなかったそうですよ。ビューティー・ペアのLPレコードに練習時の様子が収録されているんですが、そのなかに「見ていろ! マキ! よく見ていろ!」ってコーチの声が入っていたこともありましたね。
1 / 4