プリキュアになりたかった「コミュ力ゼロ」の女の子、遠藤有栖はなぜプロレスに輝く場所を求めたのか
■『今こそ女子プロレス!』vol.19
遠藤有栖インタビュー 前編
ごく普通の2人の女の子が、ある日突然、"力"を手にして悪と闘う。闘うといっても、魔法を使うわけではない。打撃、投げ技、関節技......そう、素手で闘うのだ。2人の少女は力を合わせ、連携技を繰り広げる。次第に彼女たちの絆は深まり、ついには悪を滅ぼす――。テレビアニメ『ふたりはプリキュア』の話であり、東京女子プロレスの話でもある。
東京女子プロレスのレスラーたちは、もともとはごく普通の女の子。格闘技経験があったりプロレスラー志望だったりする者は少なく、ほとんどの選手がある日、ひょんなことからプロレスの世界に足を踏み入れる。過酷な練習を積んでリングに立つのは他団体と同じだが、東京女子プロレスにはユニットがなく、タッグチームの絆が強い。まさに初代プリキュアのような"バディ物"なのだ。
「東京女子プロレスはプリキュアそのものだ」と思ったきっかけは、遠藤有栖(えんどう・ありす)だった。有栖の子供の頃の夢は、プリキュア。「美墨なぎさ(キュアブラック)になりたかった」と話す。そんな彼女はアイドルグループを経て東京女子プロレスに入門し、2年先輩の鈴芽とタッグを組む。勝てない日々が続いたものの、鈴芽と力を合わせて着実に"強さ"を身につけていく。そして今年3月、ついに2人は両国国技館という大舞台でプリンセスタッグ王者に輝いた。その瞬間、有栖は「プリキュアになれた!」と思ったという。
普通の女の子だった彼女は、いかにして「プリキュアになれた」のか。遠藤有栖の半生を追った。
東京女子プロレスのプリンセスタッグ王座のベルトを掲げる遠藤有栖 photo by 林ユバこの記事に関連する写真を見る
【子供時代は「人付き合いが怖かった」】
有栖は1998年、福島県会津若松市に生まれた。江戸時代に会津藩の城下町として栄えた残り香が漂う観光地。自然豊かで、水も空気も澄んでいる。食べ物も美味しい。彼女は、そんな会津を愛して育った。
父、母、3つ下の妹、6つ下の弟の5人家族。両親は車屋を営み、有栖と妹弟は祖父母の家で過ごすことが多かった。極度の人見知りだった彼女は、しっかり者の妹の後ろをついて回っていたという。
「初対面の人とは、目も合わせられない。人付き合いが怖かったです。人に流されやすい性格だと自覚していたので、『付き合う人によって自分が変わってしまうんじゃないか』という怖さがありました。勉強が嫌いだったこともあって、学校に行くのが本当に嫌でしたね」
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著者プロフィール
尾崎ムギ子 (おざき・むぎこ)
1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。プロレスの記事を中心に執筆し、著書に『最強レスラー数珠つなぎ』『女の答えはリングにある』(共にイースト・プレス刊)がある。