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新日本プロレスに負の連鎖→藤波辰爾がアントニオ猪木に反旗。師匠を迎え撃った伝説の一戦 (2ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Yukio Hiraku/AFLO

 そんな苦境でも、リング上の主役は相変わらず猪木。藤波が反旗を翻した、那覇での大会後に予定されていた大阪府立体育会館と有明コロシアムでのビッグマッチのメインイベントも、猪木とベイダーの2連戦だった。メインを譲らない師匠に、藤波は「たまっていたもの」を爆発させたのだった。

「会社としては猪木さんを外せないから、どうしても猪木さんを主役にしていたんだけど、僕から見ると、それがどう見ても猪木さんの負担になっていたんですよね。そういうイライラや、そんな状況で何もできない自分への歯がゆさが、あの時の行動になったんだと思います。

 僕は長州や前田のように他の団体には行くことなく、旗揚げから常に猪木さんに付いて、新日本のリングで成長させてもらった自負があるんです。だから自分なりにできる限りのことをやって、この低迷を逆転させて『新日本と猪木さんを守りたい』という気持ちもありました」

 それにしてもなぜ、ハサミで髪の毛を切ったのだろうか。

「それは......今振り返っても理由がまったくわからないんです(笑)。子供が親に駄々をこねるような感じだったのかもしれませんね。やけになって救急箱を蹴飛ばしたらハサミがあったから、衝動的に髪の毛を切ってしまったんです」

 沖縄での実力行使もあって、大阪、有明での大会を猪木はケガを理由に欠場し、ベイダーとのメインの2連戦は藤波が務めることになった。1988年5月8日の有明大会では、IWGPヘビー級王座決定戦でベイダーを破り、初めてIWGPのベルトを腰に巻いた。

 そして、3カ月後の8月8日――。横浜文化体育館で、王者の藤波は猪木を挑戦者に迎えての一騎打ちを行なうことになる。

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