アントニオ猪木が選ぶベストバウト。馬場戦も意識した世界王者との死闘 (3ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

 この試合は、馬場を意識した一戦でもあった。勝者は翌12月3日に、東京体育館で馬場の挑戦を受けるシチュエーションが用意されていた。つまり猪木がドリーに勝てば、「猪木vs馬場」という日本プロレスを背負うトップ同士の対決が実現していたのだ。

 結果はドローで「猪木vs馬場」は幻に終わり、NWA認定世界ヘビー級選手権として馬場がドリーに挑戦することになった。同じ60分3本勝負で、1本目は馬場が、2本目はドリーが取り、3本目は時間切れの引き分けとなった。

 ドリーと1本ずつ取り合った馬場に対し、世界王者に「負けなかった」猪木の試合は、内容でも後世に語り継がれるものだった。猪木は「馬場さんはライバルじゃなかった」と公言するが、同じ日にデビューした馬場の存在は、猪木のレスラーとしての原点でもある。さらに新日本を旗揚げしてからの馬場の全日本との興行戦争など、プロレス人生で大きな影響を受けたことは間違いない。

 2人の直接対決はついに実現せず、馬場が1999年1月に逝去。このドリー戦が"代理戦争"としてファンの記憶に刻まれることになった。(敬称略)

(後編につづく)

■アントニオ猪木 著

『猪木力 不滅の闘魂』(河出書房刊)

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